□  秋田                                 平成14年5月6日



建築家 白井 晟一(1905〜1983)。群馬でも旧喚乎堂。九州の親和銀行本店を始め、各支店の設計。銀座の親和銀行東京支店の迫力には学生時代驚かされ、東京広尾ノアビルの黒い楕円状の筒状の基壇の上に立つ黒い異形の姿は交差点に屹立することによって、ランドマークとして異彩を放った。目白通り沿いに建つ自邸は、高い塀に住居の軒線を低く合わせ都市の喧噪から守られた確かな住まいとしてたたずんでいる。内部は「陰影礼讃」、建築雑誌から見ると、全て均質な明るい住居と違って空間ごとに明るさも変化している。

建築の設計に携わる人間ならば誰しも、白井 晟一研究を必ず通り過ぎる。機能とかたちであったり、工業化・量産化であったり、時代精神の反映としての近代主義と違った作法が、研究する者に問いかけてくる。力強く計算され尽くされた、手の表現としてのディテールの確かさに驚かされる。

今日でゴールデンウィークも終わり。期間中は殆ど出ずじまいで終わってしまったが、期間一週前の4月18、19、20日と秋田に出かけた。22年振りの秋田の湯沢であったが、今年は桜の開花が早く、どこも丁度満開であった。角館の川べりの桜も満開で、武家屋敷群の人出の多さが地元の新聞の一面で報道されていた。22年前は3月末に訪れ春一番の強風が吹き荒れた印象が強烈だ。街の中は、ドイツ通りとかで整備され、かなり明るく街並みが綺麗になった気がした。

白井 晟一は秋田で初期にかなりの数の作品を残している。22年前はこういった作品を見に行ったのだが、雄勝町役場、秋の宮役場、横手厚生病院など。白井 晟一は、雪深い秋田、交通の便も良くない時代に地方に出かけ、雪国を意識した深い軒先をつくり上げることによって逆に明るい開放的な作品をつくり、民衆のための建築家としての評価を確立したのである。




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