□  情報化社会                               平成14年6月17日



 「‘情報化社会’はナショナリズムを解体する」。マクルーハンが40年前に言ったように、現代社会の仕組みから対立の構図は確実に消えていった。国境の壁はどんどん低くなり、その結果消えてなくなり、やがて世界はグローバル化のもとに1つの村になっていく。

 先日、夜の9時過ぎの東京の電車、FIFAワールドカップサッカーの各国からのサポーターたちを多く目にした。新潟から東京へ着く新幹線から降りる乗客も、かなりの数のサポーターとすれ違って驚いた。サッカーよりラグビーの方が面白いなんて、サッカーを良く知らなかった自分もいつの間にか巻き込まれて面白い。目をそらしたすきにアッという間に強烈なシュート・弾丸が飛びかう、頭脳を使った激しい格闘技であることを知らされた。日本対ロシアの熱狂的な闘いと応援狂想曲で日本中が沸いた。負けたロシアでは暴動まで起きて事件になってしまったという。

 東京オリンピックの頃と違って、今では今年の冬季オリンピックでもどこの国がどれだけの金メダルを取ったか、世界で何番目だったかあまり記憶にない。スピードスケートの清水が何秒で走ったか、瞬時に映し出されてくる。筋肉の躍動した走り方に興味がある。モーグルの里谷の一挙手一投足が気になり、ブラウン管を通して伝わってくる。マラソンのリディア・シモンがどこの国の選手であったかもあまり気にならない。個人のダイレクトに入ってくるテレビの表情、‘情報’が‘国’という界壁を乗り越えて伝わってくる。国際的なスター・アスリートたちの大運動会にオリンピックは変身した。

 ‘情報化社会’。国と国の対立意識が稀薄になったと思ったら、チームプレーのスポーツだからサッカーはしかたがない気がするが、むきだしの忘れていた対立の‘国家意識’があちこちにパフォーマンスとして表現されている事の危うさに戸惑いが脳裏をかすめる。「日の丸」・「君が代」、時計の針を逆戻りするナショナリズムと違った、自立した‘国家意識’の高まりは近づいている。

  

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