□  最後の鮎釣り                              平成14年7月9日



一昨日の日曜日の夕方、2年ぶりに鮎釣りに行ってきた。鮎釣りにいくといつも想い出す。

 80歳の父が、どうしても鮎釣りの解禁日に出かけたいと言い出した。魚釣りが大好きだった父は、河原で食べる予定のトマトやキュウリとおむすび、釣道具一切を自分でリュックに詰め込んで準備万端整えている。足の歩幅も短くなってしまった父は、もう河原をよく歩けない。兄弟と3人で出掛けるしかない。

 いきなり大きなマスが、糸とハリがすいこまれるように引っ張られて釣れた時の光景が鮮明だ。まだ雪しろ水が出る前の3月末の村部の小さな河川。小学生低学年だった自分は、どうして良いか分らずなんとかマスを引き上げて、ハリの外し方も分らず河原の土手を竿と魚を抱えながら、下流で釣りに興じている父のもとへと一目散に走っていった記憶。何度も対岸に移動するのにも父に背負ってもらい、渡った背中の感覚が今でも思い出される。暑い最中、河原でクーラーボックスもない時代に、汁を滴らせながら父と食べる、水につけておいたトマトの味は格別だ。

 父と出掛けた最後の鮎釣りの解禁日から1ヶ月ちょっとで、父は脳梗塞で倒れてしまった。倒れる前の7〜8年は殆ど病気との戦い。胆石に始まって心房細動、ペースメーカー、血栓が眼に飛んで片方の眼は見えなくなってしまっていた。本当に好きだった魚釣りもできなくなり、それまで励んでいた室内での書の世界に父は没頭しつづけたのである。両眼で像を結びつけられない分、かなり大変だ。自分の部屋で大きな書を書きながら倒れ、今度は身体半分が殆んどきかなくなってしまった。

 私と弟には即ぐに鮎がかかった。父にはいつまでたっても釣れる気配がない。暑くて体に悪い、竿を出しただけでいいからもう引き揚げようと何辺も催促したが、譲らない。しびれを切らして帰りかけたら、父の竿がぐーっと引っ張られて背がかりの元気な鮎がようやくかかり、弟と2人で何とか取り込んだ。父のうれしそうな顔が今でも何とも云えぬ親孝行のような気がして忘れられない。

 ‘最後の鮎釣り’の後2年近くして、82歳で父は亡くなってしまった。



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