□  八月の濡れた砂                                平成14年8月26日



 「若さ」は「常識」から外れた事を考える。現実に「外れた常識」が時代の流れを変え、時代の先端をいく前衛−アヴァンギャルドになり得てきた。

 最近は急速に柔らいだが、今年の夏の暑さは北半球始まっていらいの異常気象だった。夏の終わりが近づくと思い出す。図面に滴り落ちそうになる汗をぬぐいながら、徹夜続きで図面を画いていたのもいつも暑い夏での繰り返しだった記憶がする。きっと今ほど暑くなかった所為もあるが、クーラーもなくて汗だくの中で、建築図面が仕上がった充実感と高揚した気持ちをひきずりながら、涼しさを求めて何度も出掛けたのは安い名画座の同じ映画。「常識」から少し外れた生き方を映画の中におきかえることによって、「若さ」を実感した‘八月の濡れた砂’と‘いちご白書’。

 ‘八月の濡れた砂’。太陽族の姿を描いた「太陽の季節」の70年代版。71年8月公開、海を舞台にしたあてどもないエネルギーのぶつけどころのない湘南の若者たちの気だるさが全編に漂い、以後の日活の映画路線をかたちづくった作品。「規範」と「常識」にとらわれない野性的な無軌道な「若さ」が夏の終りと共にはじけて終息していく。波間に浮かぶヨット(「若さ」)を空中からの望遠ショットで引きながら撮る象徴的なラストシーン、バックに流れる歌は高い透明感のある、石川セリの‘八月の濡れた砂’。

 ‘いちご白書’。いちごの外側は赤くて中身は白。情熱と冷静、革新と保守。全く政治、学園紛争などに無関心な学生生活を送っていた主人公2人がいつの間にか巻き込まれ、体制側(常識)との闘いのリーダーになっていくストーリー。最後に講堂にたてこもった学生たちが床を叩いて合唱する‘Give Peace A Chance’。催涙ガスをまきながら突入する警官隊、学生達が引きずり出されながら一瞬すべての音が止まった中でバフィ・セントメリーの歌う主題歌‘Circle Game’、‘人生なんて同じ事の繰り返し、所詮輪の中のゲーム’。70年アメリカ映画。翌年1月18日東京大学の安田講堂占拠事件が起きた時系列はあまり語られていない。

 「外れた常識」は時代を動かす。「外れた常識」は非常識になるが、失敗を恐れずみずみずしい感性でぶつかっていくのが「若さ」。「常識」をかたちづくり、いきなり結果を求めたがるのが40代より上の世代。今では「外れた常識」を追いつづける「若さ」を理解しなければならない「常識」世代の真ん中にいる。

 

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