□  何もしないこと                                    平成14年10月25日



 ‘何もしないこと’は最高の贅沢である。それまでは‘何かすること’がないと落ち着かない、酒を飲んだり人と会ったり音楽を聴いたりすることによって所在なさは埋められてきたような気がする。‘何もしないこと’の状態に自分をじっと放っておくと、今読んでいる本の事をまとめたり、これから読まなければならない本のことであったり、昨日までの考えていたことの組み立てが頭の中で出来上がる。心の隙間に何かを思い浮かべさせようという想像力が働いてくる。自分と向き合い、ゆっくり考える事は‘何もしないこと’から生まれてくる。

 ‘指定席付きの回数券’(森の声5月3日)だから時間に余裕のある時は、指定席券を窓口で予め交換する。2階建の新幹線、必ず下の席を希望する。見晴らしの良い2階席を希望する人が大半らしく怪訝な顔をされるが下の席の方が揺れなくて良いこともあるが、見慣れた車窓の景色を見ていてもどうしようもない。‘何もしない’1時間10分には外からの情報は妨げになる。じっと考え続けているうちに「森の声」で書きたいことは浮かんでくるし、帰りの夜の新幹線で行きに書き留めておいた事は、文章となって2日分が仕上がることになる。

 ‘バカンス’の語源はVACANT(空いている)。イタリア人のカレンダーはバカンスを中心に回っていると言われている。(AGORA 7月号)6月頃から‘バカンス’に出かけ始める人から始まって7月、8月には海へ行ったり山へ行ったり海外へ出かけたり、街は殆ど空洞化してしまうという。はたから見ると遊んでばかり、休んでばかりで生産力が落ちてしまう国民であると映る。日常生活で追いかけられるうちに失われた心を取り戻すために‘バカンス’はある。‘何もしないこと’の時間をつくることによってイタリアの人の作り出す、デザイン、建築が秀でているのもこんなところにあるのかも知れない。

 ‘何もしないこと’は自分としっかり向き合い考えることに役立つ。都会の人達は満員電車に揺られながらじっと一人で考える時間は充分にあるし、駅のホームで電車を待ちながら、路上で歩きながら考えは次から次へと間違いなく浮かんでくる。「巡礼」もそうだったが、坂本竜馬は脱藩をして江戸に出て来る時でも、土佐から四国の山を越え、京を通って江戸まで歩き、その膨大な量の距離と空いた時間が志を練るのに大いに役立ったのは有名な話。そういえばこの頃の人達のセピア色の写真は皆んな哲学者の風貌。今の時代「スピード」と「変化」、対極にあるのは「スロー」と愚直なまでの「不変」。あくせくしない空いている無為な時間をつくらなければならない。‘何かをすること’ばかりに終始することより‘何もしないこと’の時間をいかにつくれるかが大切ということになる。

                                                        (青柳 剛)



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