□  キッチュ                                       平成14年11月1日



 「キッチュ」の概念は文化のありようを考える上で中心に据えなくてはならない。「機能的なものは美しい」、1930年代のモダンデザイン以来ずーっと標榜され引きずられてきた理念。高度工業化社会が生み出す大量生産にもとずく均質で品質管理の行き届いた商品を社会的に認めさせる目的で唱えられた。「キッチュ」はドイツ語で「まがいもの」、「まやかしもの」、「俗悪」といった意味。通俗的で低俗、ごてごてした悪趣味の総称であり、モダンデザインの「機能優先主義」の世界では捨象されてきた概念である。

 凹凸のない流線型のデザインに収束される筈が車のデザイン。1981年にデビューしたイタリアのカーデザイナーGiorgetto Givgiaroの手による流線型のデザインのいすゞのPIAZZA.走るかたちをデザインの基本に据えたならば流線型のデザインは究極のデザイン、「機能的なものは美しい」となる。ところが大衆の買い手の好みはなかなかそうはならない。街の中を走る車のデザインは最近は殆んどまる型。日産のマーチを始め大型車までかたちは走るという機能から外れ、まあるい、もう少し言えば「可愛らしい」かたちが主流になっていく。

 ハンバーグ屋さんがハンバーグそのもののかたちをした建築のデザイン肉屋が豚肉そのものを表現したお店のかたち。ロバートベンチューリの「ラスベガスから学ぶもの」が示唆するものは大きい。理想主義社会を目標に展開されてきたモダンデザインに対するアンチテーゼ。「機能的なものは美しい」と言われながら作られてきた建築や都市景観がいかに脆弱であったか、画一化されたものになっていくことへの強い警鐘であり、ハンバーグのかたちをしたお店が建築ではないと決して言い切ることは到底できない。建築全体が看板として記号化する、2重壁の手法に大衆の欲望が直裁に現れた表現はどこでも見受けられる。1980年代以降のポストモダニズムの芸術思潮は間違いなくベンチューリ理論の展開が基本であったといっても言い過ぎではない。

 「近代」の概念からすれば忌み嫌われて来た「キッチュ」のデザインは身近なものを始めとして街中にあふれている。今原稿を書いているロットリング社製の太い格好をした万年筆だって書くことから離れた「キッチュ」そのもの。服装だって決して身体のラインに合ったものだけが売れる訳ではない。ポピュリズムのもとに「キッチュ」と繋がりそうな政治の世界は大衆迎合主義が吹き荒れている。洗練されたソフィストケートされたものだけが是であるという価値基準は確実に色褪せつつある。限りない大衆化の欲望の波は止まることなく続く。「キッチュ」の概念を中心の視座に入れなくてはならない。都市は、文化は「キッチュ」を目指すことを受け容れる事から思考は展開する。文化は限りなく重たいデカダンスへと向かっている。

                                                         (青柳 剛)



ご意見、ご感想は ndk-aoyagi@ndk-g.co.jp まで

「森の声」 CONTENTSに戻る