□  「レンブラントでダーツ遊び」                                     平成14年12月2日



 「レンブラントでダーツ遊びとは」(岩波書店)。題名から想像してかなり刺激的な本だったので気になっていた。9人の人が分担しての翻訳本だからかなり読みにくい。それでも読みにくさ、翻訳のまずさは別にしてレンブラントの名画、文化的な価値があるものを個人が所有したらダーツを投げて遊んでもいい、どのように扱ってもいいのかという鋭い問題提起を投げかけてくる。副題にもあるように「文化的遺産と公の権利」、バブル期に買い漁った美術品の流失と幼児性を持った収集家の所有する美術品など、身近な問題として考えさせられるものはある。

 ルイス・カーンのソーク生物学研究所の増築問題について第一部第4章でふれている。全体構成は第一部では美術品、第二部では文書類の行く先、第三部、骨と皮について論じている。ソーク研究所は1965年に完成した。ソークワクチンと呼ばれるポリオ予防ワクチンの開発者であるソーク博士と著名な建築家カーンとの共同作業で出来上がった20世紀現代建築の代表作のひとつ。1974年カーン亡き後、研究所の増築問題が発生した当時の論争と結末について書かれている。詳細は本文に譲るとして、結末はカーンに理解のある所有権を所有するソーク博士でさえもカーン夫人はじめ、リチャード・マイヤー、ヴィンセント・スカーリー、ロバート・ヴェンチューリなどの反対論者たちの判断には譲歩しなかったのである。建築の価値は所有者の判断のもとに委ねられたのである。

 特に建築の場合、文化的な価値がどの程度によって評価されるかは難しい。歴史的な時間の問題をはじめとして、建築そのものが時代に及ぼした影響、様式の完成度、建築そのものの洗練さなど判断基準は多岐に亘る。又、建築の保存の問題を考えるときに他の文化遺産と異なるのは日常生活の一部として建築が使われている事。新たな必要に迫られたときに問題となってくる。重要文化財の民家に住んでいる人達の悩みは身近にテレビなどで見聞きする話である。最近の品川の正田邸、保存運動も落ち着くところに落ち着いたような気がするし、村野藤吾設計のアルキャスト建築の代表作、中目黒千代田生命本社ビルも一時は存続の危機に見舞われたが区役所として再生される。自分の住む県内でもブルーノ・タウトの建築の保存運動が高まりを見せ決着をした。それでも近代化遺産としての建築、構造物が大した検証もなく消えていった例は数多くある。建築の価値の問題というよりは経済の論理が政治と一体になった時、土地所有の問題などと絡んで消えて行く。

 文化的遺産の所有は個人の所有権と公の所有権が併存する。建築の価値評価は難しい。新しい時代の要請で歴史的な建築を建て直したり改造したりする話はよくある話として理解しなければならない。「レンブラントの肖像画に手を加えたり現代画家によって愛犬や何人かの可愛い子供たちを書き加えるべきだなどという人は誰も居ない」(本文89頁)。美術品と違って建築の保存再生は難しい。保存再生の動きが建築の世界で顕著になったのは1970年代、日本橋の旧東海銀行改築あたりから。様式スタイルの古い柱を新しい建築にはめ込んだ新しい手法の再生のかたち。古いものをいかにのこすかも大切な事だが、新しい建築をつくる時にも自分のお金で建てるから何をつくっても良いとはならない、「公の精神」を忘れてはならない。スクラップ&ビルドだけを繰り返した結果としての薄弱な光景。「レンブラントでダーツ遊びとは」、刺激的な題名から考えさせられるものはある。建築の価値、ものつくりの価値は「記憶」によってつくられる。かけた時間、かかった時間、思いがこもった時間が「記憶」をかたちづくる。日常生活は今だけでない永遠の時間の一場面。価値は「記憶」、消す事の出来ない積み重ねた「時間の重さ」の事であることは確かだ。

                                          (青柳 剛)



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