□  大きな声                                                 平成15年4月1日


 もともと肺活量が大きい所為もあって声は大きいし太い声だと思っている。それでも大きい声を出すのには身体全体から所謂その気にならないとなかなか大きな声は出てこない。大きな声ではきはき応対されるとそれだけで元気のいい会社、気持ち良くなってくる。エントランスに入った時の活気づいた雰囲気はしっかり伝わってくるし、帰るときの背筋がしまった感じは爽快なものがある。仕事に真剣に取り組む気持ちが「大きな声」、自信となって外に向かって現れてくる。

 「声を出せ」とはスポーツの世界ではいつも言われ続けてきたこと。特にチームプレーが要求されるスポーツにとって声を出すことは大事なこと。「組織」のどこかに元気がなくなればいつの間にかチーム全体に与える影響は見過ごせなくなってくるのがチームプレー。選手全体の「やる気と技術」がひとつになった団結の成果が結果としてでてくる。しっかり「声をだす」ことがチームプレーには欠かせない。少年野球ではプレーしている選手もベンチの選手の声だしも元気いっぱい、見ていて楽しくなってくる。

 「大きな声」の「ホームルーム」世代。自分と同じ年に隣の県で生まれた関川夏央が「昭和時代回想」(集英社文庫)で書いている、充分うなずける体験。戦後、アメリカ型民主主義の象徴が「ホームルーム」。「ホームルーム」の討論を制したのは正義であり、多数決。今の時代の少人数のクラス編成とは違って一学年10クラス以上、一クラス50人以上のたて込んだ教室のなかでよく繰り返された民主主義としての「ホームルーム」。いきおい、よく喋るものが生き残り、声の大きな意見が勝つことになる。みんなで議論したがる団塊の世代の原点はこんなところから来ている。忘れてならない教訓は多数決の議論を制したのは正論だけではなく「大きな声」がいつの間にか正義だったという事。

 「大きな声」で何でもいいから少しでも人が集まったら喋っていれば良い、人は耳をだんだん傾けてくれるし、いつの間にか中心人物になっていくとは一世代上の先輩の貴重な意見。「大きな声」で中心に居れば発言に責任も持たされる。先日訪れた製造業の会社、若い女子社員から工場の社員まですれ違うときの「大きな声」の挨拶は気持ちがいい、こんな時代に増収増益も十分うなずける。いつまで経っても明かりの消えない乱雑だけど「大きな声」が飛び交っている会社は勢いがあって元気が良い、対極にあるのは緊張感の漂う静まり返った「茶室」のようなオフィス。東京日本橋、日本を代表する建築家の事務所を訪れたときの静謐な緊張感は本物、作り出される建築作品と一体となった真摯なものつくりの姿勢がアトリエの雰囲気にも現れていた。「大きな声」とともに貴重な忘れがたい記憶の一場面であったことだけは確かだ。

                                          (青柳 剛)

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