□ 12本の足                                                    平成15年6月11日


 確かに日本人の足は長くなった。団塊の世代の自分たちの年齢位までの日本人は胸が厚くてもちろん足も短い。きっと食糧事情が悪かった所為だと納得しても足の長さは触れたくない話題のひとつである。何のコマーシャルだったかはっきり思い出せないが椅子に座って足がVの字に出ている藤原紀香の足の長さには驚いた。身近な自分たちの世代と本当に身体のバランスが違う。大学入りたての頃の早稲田記念会堂、早慶戦の前夜祭で見た山本リンダの真っ赤なドレスからはみ出た足の長さは二十歳前の地方出身の素朴な純情学生にとって暫く頭の中から離れなかった強烈な光景のひとつだった。確かに最近は日本人の足は長くなったがそれでも割り箸のような華奢な長さから抜けられない。

 牛乳を沢山飲んで食糧事情が良くなったと言ってもしっかり歩くこともなく、ただすらりと伸びた足の長さにはメリハリのない長さだけの足になってしまう。しっかり歩くことを子供の時にしないから先ず転び方もきちんと出来なくなってしまう。両手も使わずいきなり顔面から子供が転がってしまう話は教育現場の先生から良く聞かされる話。足に土踏まずが出来にくい、偏平足も多くなっている。歩かないし、殆ど下駄も草履も履かなくなったから足の指まで自由に開かない。足は第二の心臓、足に下がった血を心臓に送り返すポンプの役目を果たしていく。足の脹脛、カーフがしっかり鍛えられているかどうかも大事、カーフの収縮が心臓の役目を果たす、筋トレの最後にはカーフレイズは欠かせない。足の魅力は適度に鍛えられたメリハリの付いた足の筋肉と長さによって作り上げられていく。

 単体よりも集団、顔つきも足も集団になると一層効果ははっきり見えてくる。先日の夜の新幹線。グリーン車の座席を回転させて座っている人は先ずいない。なんか変だと思いつつ、いつものようにタバコ一本だけを吸いにグリーン車を通り抜け灰皿のあるデッキまで。向かい合って座っている座席からなぜか光が出ている気がする。通り過ぎた途端感激した。座っていたのは8人の欧米人、男2人の女6人。それこそ若い女の人たち6人がそれぞれ向き合ってショートパンツから出した足を向かいの席に載せあっている。どの足も大袈裟に言えば向かいの席の背もたれに届いて十分余っている。痩せてもいない、太りすぎてもない健康的な長い足が12本交差して織り成す若さがフワーッとしたオーラとも見間違えるほどほんとに光っていた。グリーン車の白熱光が足の金色の毛に反射して輝いている12本の集団としての足の美しさだった。

 足の長さは本当に変わってきた。それでも日本人の足は華奢な折れそうな足の長さ。足の表現は沢山ある。「地に足が着いていない」はいつまで経っても考え方がしっかりしない人のこと、「浮き足立つ」とは慌てていたり落ち着きがないことを例えたりする。元々日本人は胸板が厚くて足が短かった体型、地面にしっかり足をつけて行動していくのが基本。足が長いのには憧れる。鍛えることもなく、ただ細くて長いだけの足の体型になった日本人が多くなってきて地に付いた考え方、生活意識、行動が知らぬ間に忘れ去られていく。愚直なまでにコツコツと人生を磨き上げていくのが日本人だし、厳しい時代の今の生き方。しっかり地に付いた歩き方をしなければならない。それにしてもあのグリーン車の12本の足、日本人の足では到底勝てそうもない、お蔭でいつも一本しか吸わないタバコを行きつ戻りつしながら三本も吸ってしまった。美しいものを見て感動する気持ちはまだまだ衰えていない。

                                          (青柳 剛)

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