水平と垂直                                                  平成15年7月23日


 会場が聴衆で満員、あふれそうだった。先週ソニーの会長の話を聞いていたら頻繁に「水平」の言葉が出てきた。前にも書いたがザインエレクトロニクスの社長の話でもファブレス、「水平分業」の考え方が何度もキーワードとして語られた。今の時代「水平」な組織のあり方、「水平」な仕事の進め方を中心に据えなくてはならない。元々日本は封建的な縦社会、「垂直」思考だった。サムソンが45歳以上全員リストラを出来ても、日本では終身雇用、年功序列は簡単に定着してきた。資本主義社会の近代化の縦系列の流れに乗った組織、仕事の進め方を受け容れやすい国民性だったといっても言い過ぎでなかった。「水平」と「垂直」を軸に身近な回りを見渡し、もう一度考え直すといろんな見方が見えてくる。

 先日の日本経済新聞(7月21日)の1面の積水ハウスのトップセールスマンの記事、今まで積水ハウスの住宅1000軒を売ってきた営業マンの記事が載っていた。0.4ヶ月に1棟住宅を売るのが住宅営業マン1人当たりの平均だから入社28年で1000棟はすごい、6人分の売り上げ成果である。パナホームも年間30棟売るトップ営業マンが居る。会ってみると特別の雰囲気があるわけでもない。優しい雰囲気はあるが住宅を売るのに顧客とすぐに仲良くなるのが秘訣だそうだ。話していて面白い。話題も豊富、こちらが身構えなくても話が弾んでくる。大事なのはどちらの人にも共通して言えるのは会社と顧客と一緒になって働いていく喜びを見出していること、組織の枠の中だけで仕事をする以上の個人の能力があっても組織の中で成果をあげる姿勢を保っていることである。縦の「垂直」組織に捉われない個人の能力を最大限発揮する「水平」行動、思考が生きている。

 簡単なことに気づいてこなかったから都市づくりは失敗を重ねてきた。土地が足りなく、過密都市になりそうだから「水平」の広がりから上へ上へと「垂直」指向だけの都市を計画してきたからおかしくなる。土地の有効利用、「垂直」都市の発想自体は合っている。「垂直」都市は、鉄とガラスで構成される透明感が文明の象徴と思われてきた。横に広がる「水平」都市には透明感とは別、都市に影が出来ていく。明るい無機的な透明感だけでは都市は成立しない。「水平」な都市が生み出していくのは裏の影の顔としての横丁であり、路地である。いくら昼間、お洒落なオフィスビルで働いても落ち着ける裏通りの空間が消えてしまってはどうしようもない。東京モデルを追い求めた地方都市のモデルがちぐはぐになって、いつの間にか中心と周縁が逆転して空洞化してしまった例は数え上げればきりがない。特に地方は「水平」都市の影で良かったのである。

 「水平」と「垂直」を軸に考えてみるといろんな考え方が浮き彫りになって見えてくる。日本語の文章の書き方も縦の書き方が基本、文字を追う目の動きも縦に流れていく。身近なことから縦に慣れている。どちらかと言うと縦の「垂直」は保守的な響きがあるし横の「水平」は革新的な感じもしてくる。「垂直」都市が高くなっていくだけで同じ機能のフロアーを積み重ねていくことから抜けきれないからつまらない。「水平」ごった煮の都市には発見、意外性がある。「垂直」会社組織もそう、責任と権限を分け与えられた部分の積み重ねだから硬直化する。「水平」は基本的には凹凸のない形、ややもすると「平等」とも勘違いする。「水平」は弾力性を持った組織へと結びつくから努力しただけの結果が出てくる「競争」概念の裏返しである。「水平」に広がっていくのを取りまとめていくのが「垂直」よりももっと強い飾りだけでないリーダーシップ、だからソニーの会長の話もザインエレクトロニクスの社長の話も聴衆があふれるほど面白い。

                                          (青柳 剛)

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