合併                                                      平成15年7月25日


 まさか何年か前のリゾート法のイメージを追いかけているとは思いたくない。日本中がばら色のリゾート地域に埋め尽くされていきそうな雰囲気が漂い、全国各地の熱気はただものではなかった。国民皆総中流意識、これからは余暇を楽しむリゾートライフと思っていたら、バブルがはじけたと同時に追いかけていたイメージと違っていたことに気づいたのである。その後のリゾート法の網がかかった地域の負の財産が残っただけの惨憺たる状況は、充分テレビマスコミで報道され尽くされてきた。市町村合併論議がリゾート法の時の熱気と同じだなんて決して思いたくない。同じレベルの論議に向いていくとしたら行く末は見えてくる。

 1993年の国の第3次行革審の最終答申から市町村合併論議が始まった。3200ある市町村を2005年3月までに3分の一程度に減らしていく政策である。合併特例法を定め国は合併を促進、支援している。合併になれば市町村長、議員そして職員の数も効率化されて減ってくる。行政単位の規模も大きくなればそれだけ行政サービスは充実強化されるし、効率化されてくる。小さい単位の重複されていた行政施設が集約することが出来る。効率化されるから財政負担も軽減へと向かっていく。そして合併特例措置は国が地方の借金を負担することによって合併を促している。2005年3月までに合併をすることによって10年間今まで通りの地方交付税を保証するし、公共施設の整備による元利償還金、借金の7割を国が負担することによって促進をはかっている。

 経済が右肩上がりのときは「背比べ」、「対立」で終わってしまう。すぐそばの温泉観光地も最盛期は年間300万人もの人が訪れた。今では年間100万人ちょっとの観光客まで落ち込んでしまった。年間300万人の観光客が訪れていた時は本当に「活性化」していたんだろうか。確かに大きな観光施設は次から次へと建設され観光地らしさは形づくられてきた。量の饗宴の受け皿に目が向いていた。隣がつくるから自分のところもと繰り返しを重ねた結果が今のかたちとしての温泉観光地。地域の真の意味での連帯、活性化を置き去りにしながら300万人の観光地が出来上がったのである。観光客100万人の厳しくなった時にこそ観光そのものをみんなで考え工夫していく地域の自立した「活性化」が見えてくる。右肩下がりのときに「自立」の概念が浮き彫りになる。

 リゾート法と共に竹下内閣のときの浮かれた1億円のことまで思い出されてくる。確かにスケールが大きくなればスケールメリットは出てくる。合併特例債も合併の促進には役に立つ。何が有利で何が不利かと言う論議が前面に出て合併の是非を論議していくから方向性は見えなくなってくる。ましてや駆け込み需要で公共施設を整備していく政策は「背比べ」の枠を越えられない。スケールが大きくなったとしても思い描く姿が大きくなっただけの都市のかたちであるならリゾート法の熱気にまで遡っていく。そして薄っぺらな都市が全国各地に出来ていくことになる。右肩上がりの時代はもうやってきそうもない、地域の主人公は住民、合併論議の中心に据えなくてはならない概念は「自立した連帯」である。右肩下がりの時に向いている目こそ正しい、逸らしてはならない。

                                          (青柳 剛)

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