神様だってサービス                                              平成17年1月26日


 寒風吹きすさむ中、地鎮祭に行ってきた。本来ならコートを脱がなければならない厳粛な儀式なのに誰も脱がないほど寒い。玉串奉奠の玉串も何かペーパーウエイトでも載せておかなければ吹き飛んで行ってしまう位の横風、いつもこの頃の祭事はこんなもの、本当に苦労する。日本人は特別の人を除いて普段の生活で宗教と一体になった生活をしていないと言っても節目節目に必ず神様、宗教が降りてくる。特に建築の儀式は、仕事始めの地鎮祭、棟が上がったときの上棟、仕上がった時の竣工式の三つの場面は施主にとって強く記憶に刻まれる。つくる側と共有した感動こそ強く心に残っていく。寒風が吹き荒れようが雨嵐になろうがどうしても自分が参加しなくてはならない儀式だと決めて参加している。

 大きな会社なら式典だけを担当している人さえも居る。大きな式典になればもちろんイベント専門会社に頼む。相手の顔が見える小さな地鎮祭であっても仕事始めの感動は大きくしなければならない。イベント会社に頼む事は簡単な事、そんな事よりつくる側の手づくりイベントの感動のほうがもっと大きくなる。少人数の地鎮祭でも行う神事は大きな神事と同じこと、準備に気を使う。海の幸山の幸の肴、果物、米、酒・・・、祭壇、四本の竹、四本の竹を支える木ぐい、縄、鍬、鎌、鍬、そして鍬入れなどに使う砂も忘れてはならない。雨が降りそうな天気模様なら前の日からテントを準備しておく。少人数の地鎮祭でさえ神事の始まる二時間ぐらい前から四五人で現地の準備に取り掛かる。そして、迎えに行った神官が到着して咳払いひとつ出ない厳かな神事が執り行われる。

 気を使った神事の準備をすべて飛ばしてくれる神官がいる。施主も工事関係者もそれこそ神事の始まる10分前にでも到着すれば充分間に合う。神官がすべて準備万端整えておいてくれる。祭壇はもちろん竹から砂まで全部準備して10分前に関係者が到着、持ってきた海の幸山の幸を供えればすべて終わり、神事はすぐに始められる。雨が降れば神官が準備してきたテントが立ち上がっているし、椅子も座る人数分セットしてある。神事の前の濡れお絞りまである。祭壇の前は綺麗に掃き清められている。そして、神事が始まれば雅楽の入ったテープまで流れてくる。少人数の地鎮祭だから出来ると言ってしまえばそれまでかも知れないが、わざわざ神官を迎えに行ってじーっとみんなが待っているのと大違い。そのうえ、神官に支払う金額が同じとなれば誰だって神事万端準備してくれる神官を頼んでいく。

 寒風吹きすさむ中の地鎮祭は身体の芯まで冷え切ってしまう。仕事始めの儀式だから大事な儀式。もちろん神事は厳かな事、コートを脱がなくても良かったのは異例な出来事、神事を司る神官が正装に身を固めて入ってくればそれだけで身が引き締まる。今週は上棟、週末には又地鎮祭がある。一年で平均すれば週一ぐらいのペースで建築の儀式に参加している事になる。つくる側と共有した感動こそ強く心に残っていく。それにしても施主がどうしてもこの神官に決めているとか、特別の事がない限り依頼する神事万端準備をしておいてくれる神官には驚かされる。少しぐらい遠くても確実に時間に合わせてやってくる。神官が準備するんだからもちろん落ちはない。最近は特別に我々の名前入りのテントまで作ったという。神官を頼むんだったらまず思い浮かぶのがあの神官、そう、神官は神様の代理、いつの間にか神様そのものになってしまうからおかしくなる。「神様だってサービス」、「神様でさえサービス」、時代は確実に変わっている。

                                          (青柳 剛)

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