昨日と今日と明日                                              平成17年2月10日


 「昨日と今日と明日」で充分だった。「昨日と今日と明日」のことだけを考えていれば充分だと思い込んでいた。眼の前に出てきた事を全力投球で処理していけば一日は終わるし、又明日の陽が昇ってくる。こんなことの繰り返しが人生、そしていつか終わりになっていく。そう思っていたのが8年ほど前まで、こんな事の繰り返しでは良い仕舞い方にならないと気づいたのも8年前だった。いくら一生懸命働いていても、「昨日と今日と明日」の繰り返しだけの人生を歩んでいたら残るものは何もない。前向きに考えて行動していても積み重ねられるものはない。積み重ねられるものをしっかり積み重ねなければならない。リタイアして何をしたら良いか分からなくなった人にとっては、積み重ねるものが何もないことに気づき本当の意味でのリタイアになってしまう。「かねともの」の蓄積はともすればあっという間に消えていってしまう。

 積み重ねられる蓄積は「ひと」、心と身体は蓄積されていく。「かねともの」、数字の世界は閉じれば終わりの完結の世界、けっして次のステップへと影響してこない。測ることが出来るものは量が積み重なるだけ、測れないものを積み重ねる。文章を書いていく事はいろんな事を考えているから書くことが出来る。もちろんただ考えろと言ったって急には浮かんでこない。過去の蓄積、いろんな引き出しがあるから文章の組み立てが出来る。いろんな引き出しを繋ぎ合わせる事が考えること、数字の世界とは違う。次のステップへと尾を引くから面白いし、積み上げられていく。そう、8年前から、気づいた事は何でもメモにして残しておく事に決めた。メモから考えはどんな小さなことでも繋ぎ合いながら拡がっていく。拡がった考えを完結させて文章にする。こんなことの繰り返しをやってきた。「昨日と今日と明日」の繰り返しとは間違いなく違った世界が拡がって来る。

 「昨日と今日と明日」の繰り返しだけからは逃れなければならない。手っ取り早く実践できるのは、「昨日と今日と明日」以外の時間を確実につくる事である。4年ほど前から始めたのが週に1度は何があっても東京に行く事、行き帰りの時間を含めて確実に数時間は考える時間を持つ事が出来る。歩きながら考える。特に夜の移動なら一層考えることを容易くする。殆ど毎週、東京の研修会、講演会に参加する事を続けてきた。港区芝の田町の研修会は、義務付けられた毎週の小論文があってきつくても、終わってみれば間違いなく蓄積されていた時間だった。「トレンドを読む」、今の六本木ヒルズの「知」のワンダーランドとも言われる講演会から与えられる刺激も大きい。大学ノートの厚さは何十冊にもなってきた。無理をしてでも、「昨日と今日と明日」だけでない時間をつくる気持ちが蓄積されるものをつくりあげていく。

 少しだけ年上の友人は数年前からサックスを習いだした。忙しい合間を縫って個人レッスンだと言う。あの友人も、人生は「昨日と今日と明日」の積み上げでは何にもならないと気づいたからきっとサックスを習いだした。今頃はもうかなり上達した。趣味の心の世界は極めていけばいくほど積み上げられた蓄積になっていく。習う世界は終わりのない世界。後は身体、鍛えていけば鍛えていくほど反応するし結果が出るから面白い。身体の訓練も極める世界に違いない。積み重ねられる蓄積は「ひと」、心と身体は蓄積されていく。本を読むだけでは消えていってしまうと思って8年前から続けてきたメモと文章書き、古い大学ノートはもう黄色く色褪せてきたし書いた字数は何十万字にもなってきた。「昨日と今日と明日」の事だけを考えているだけでは人生は終わらない。

                                          (青柳 剛)

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