誰だって文章は書ける                                            平成18年11月2日


 心臓が悪かったり、身体に故障がなかったりすれば誰だって42.195km、マラソンを完走することが出来る。速いスピードは無理でも、それなりの速度で走りきれることが出来るということだ。最初は300メートルぐらいから始めてその次が500メートルその又次の日が800メートルと徐々に距離を伸ばしていく。これを繰り返していけば少しは時間がかかってもいつか42.195kmを走ることが出来る身体に仕上がってくる。後はいかに続けられるかという忍耐というか気力、努力次第なんだろうと思う。もちろん試してはみてみないけど日課になっている早足の7.2kmのウオーキングをしていると、想像の世界の可能性は確信に変わってくる。前置きが長くなったが、今日の話はマラソンにチャレンジしてみようっていう話ではない。文章の話、書くことの話である。誰だってマラソンにチャレンジすることと同じ、少しずつ書き出せば、書く練習を積み重ねれば、文章は容易く書くことが出来るようになるという話である。

 書くためには少しずつ書く練習をしなければならないが、その前に読み込むことも大切だ。どんなジャンルでも構わないから、兎に角、読み続ける。読むことを習慣にする。ただ読んでいても読みきって終わりということになり兼ねないから、読み方にも工夫をする。蛍光マーカーのペンを持って気になるところに棒線をどんどん書き込んでいく、読むスピードは遅くなってもまめにノートに要点を書き写す。いろんな読み方があるが、作家の藤本義一の読み方は面白い。毎日、何があってもどんなことがあっても必ず「50ページだけ」本を読むことに決めているという。ジャンルは問わない、49ページであってもだめ、51ページになってもだめ、「50ページだけ」をきちんと読んでから眠りにつくという。「50ページだけ」という区切りで終わるからいつも中途半端に終わってしまう、この中途半端が良いらしい。中途半端に終わったことによって、次の展開がどうなっていくのか読み手がいつも考える。次のストーリに向かって、読み手の思考が膨らんでいくから読んでいる本の読み込み方は深くなるし、自分のものになっていく。   

 文章を書く行為は創作活動、自分の言いたいことを自分の言葉で発信することである。何を言いたいのか、明確にしなければならない。全体に流れる構成力が大切だ。朝起きてから寝るまでの事をだらだらと書いていても、書いている方もつまらないし、ましてや読み手は誰も読んでくれない。メリハリがないからつまらない。言いたいことをきちんと最初と最後に据え、起承転結を明確にする。いつも起承転結を頭の中におきながら書き出せば後から構成力は付いてくる。文章でなくても、建築のデザイン活動も同じ創作活動、ただ与えられた条件をプランに落としたり、条件整理だけでは何が言いたい建築なのか分からなくなってしまう。条件整理はあくまでも条件整理、設計者の意図をデザインに反映する起承転結の考え方、構成力が求められる。建築のデザイン活動はいかに日々構成力を鍛え上げられるかにかかっているかといっても、きっと言い過ぎではない。文章なら気になる文章を書きとめておく、建築デザインなら面白いデザインをスケッチしておく。それらの溜まった引き出しから取り出しながら自分の言葉で組み立て構成し、発信すれば創作活動になっていく。

 チャレンジしようと思っても不可能なことはある。今更、いくら勉強したって弁護士にはなれないし、医者にもなれない。毎日少しずつ、積み上げれば達成できることの1つが文章を書くことである。誰もが感心する作家のような文章にはならなくても、言いたいことを表現したハードカバーの本一冊ぐらいにはまとめられる。読みながら書き続け、構成し続ける、いつの間にかあれを書きたいこれも書きたいと頭の中に浮かんでくる。一番肝心なのはあれこれ引き出しから引っ張り出す記憶力、記憶力は文章を書く行為と表裏、文章を書いていれば記憶力が付いてくる、記憶力がなければ文章は書けない。記憶力を鍛えるために文章を書く、衰えつつある記憶力と戦いながら文章を書く。誰だってマラソンにチャレンジすることと同じ、少しずつ書き出せば、文章は容易く書くことが出来るようになる。そうは言っても、42.195kmのマラソン、走りきれそうな気がするだけで難しい。文章も四苦八苦しながら書くから面白い。


                                          (青柳 剛)

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