□ 「分かりやすい選挙」と「分かりやすい政策」                               平成19年5月28日


 今年前半の選挙戦も終わった。選挙に悲喜こもごもはつきものだが、なかでも長崎の市長選、とんでもない事件となり後味も悪く、いやな気分になる選挙だった。年明けの宮崎の東国原知事の誕生から始まり、いろんなキャラクターを持った候補者が乱立した東京都知事選、それに続く沖縄、福島の両参議院議員補選、そして身近な県議選とその後の市町村議選と一連の統一地方選挙が終わった。あとは7月の参議院議員選挙と知事選が控えている。選挙はそのときの風の吹き方によって結果は大きく変わってしまう、旧来の組織型の選挙ではもう勝てない、支持団体だけに頼っていられない、無党派層・浮動票の動きが読めない、若い人たちの心が読めない、マニフェストが大事だ、いやイメージ選挙だ、いろんなことが言われながら選挙のあり方もここ数年様変わりしだした。

 候補者本人が喋れて、有権者を惹きつけられないと都市部の選挙では、まず勝てない。朝の駅前の街頭演説の繰り返しから始まる。最初は誰も振り返らなくても、面白いことを言っている、中身もいい、歯切れもいいとなれば人は少しずつ立ち止まるようになる。立ち止まるどころか投票日までに耳にこびりついて離れなくなる。大井町線の大井町の駅前の「ジン・ジン・ジン・〜」はすごかった。それでもこういった選挙の手法は、投票日まで結果がどうなるか分からない。雲をつかむような不安な状況で開票を迎えることになる。雲をつかむような状況と正反対の手法が、後援会頼みの選挙である。選挙通に相談しながら地域の有力者に後援会長から細かく地域の役員まで頼み、あとは、自治会単位まで後援会が出来上がれば手応えは確実なものになる。それでも最近は、後援会頼みのしがらみ選挙でもマイナスの風でも吹き出せば、あっという間に流れは変わってしまう。

ところが、明確な対立軸をつくりながら選挙をすれば、有権者にとっては分かりやすい構図になる。「分かりやすい選挙」である。典型的な「分かりやすい選挙」が、2年前の暑い夏に行われた郵政解散総選挙だった。「郵政民営化、是か非か」を問う「分かりやすい選挙」だった。刺客候補まで沢山出てきたから、対立の構図が分かりやすい。分かりやすい上にマスコミが挙って報道するからますます過熱する。結果まで分かりやすい結果で終わった。今年行われた選挙でも似たような話は沢山ある。しがらみかそうでないかを問うたのが宮崎の知事選だったし、新幹線が必要か要らないかが争点になったのはその前の滋賀県知事選だった。四国の町では処分場誘致かどうかだけだった。身のまわりでも合併論議がそのまま首長選に持ち込まれたケースも多い。身近な分かりやすい対立軸の構図は、有権者の関心度もいやがうえにも高まってくる。

 今の時代、自由主義と社会主義の選択という政策の上での「分かりやすい選挙」・対立の構図はなくなった。自民党と民主党の差もイデオロギーの差は、どこがそんなに違うんだという状況にまでなってきた。選挙のあり方はますます混沌とする。それどころか、「どっちが若いか」、「どっちが格好いいか」、「どっちがいい人か」、もっと気楽な「分かりやすい選挙」・イメージ選挙になりつつある。かといって、郵政解散総選挙のように明確な分かりやすい対立の構図を持ち込めば有権者の心は、簡単にメラメラ燃え上がってくる。メラメラ燃え上がった結果は一時の狂想曲、醒めてみればあれはなんだったんだろうと思い始める。そういえば、郵政解散総選挙で当選してきた人達、2年近くたったらもうみんなの頭の中から消え去りかけている。危うさ漂うのが宮崎、滋賀、四国の町と合併論議だけで結果の出た首長選、「分かりやすい選挙」に隠れてしまいがちな政治家としての資質と政策、これから選挙も暑い夏の後半戦、何をやりたいのかしっかり見つめなければならない。求められているのは「分かりやすい選挙」、いや違う、「分かりやすい政策」こそ求められている。


                                          (青柳 剛)

ご意見、ご感想は ndk-24@ndk-g.co.jp まで


「森の声」 CONTENTSに戻る