□ 建築家シリーズ(椎名英三)                                                         平成19年10月29日


 ここ数年、時代は自由主義経済、市場原理主義へと日本全体が大きく動き出してきた。建築生産の仕組みもこういった流れに逆らうことなく流れてきた。もちろん経済の仕組みはそうあるべきだと思うが、ややもすると建築生産の仕組みが建築文化のありようまで変えていく危険性を孕んでいることを忘れてはならない。市場原理主義が眼を向けるのは価格であり、効率性である。建築の分野に置き換えれば、それは量産化、工期短縮、低価格など、効率・機械主義へとつながり、建築文化を支えてきた総体的な技術力の低下を生む原因となりかねない。施工技術の容易な建築にいつも向かっていると技術力の向上とはなりえない。そんなことを考えながら、年に1つか2つ、必ず難易度の高い建築の施工にチャレンジしようと思って実践してきた。椎名英三(1945−)の高崎Sa邸もその1つとして私の会社で施工した。

 椎名英三の高崎Sa邸は、2002年に竣工した。赤坂町、母方の菩提寺恵徳寺のすぐ裏手に建っている。敷地約40坪延べ床面積22坪の小さな住宅だが、いろいろな仕掛けでその小ささを感じさせない。道路南側の玄関扉の高さは、殆ど壁面の高さいっぱいの4m70cmもある。中に入るとリビングダイニング、ガラス窓越しにアウタールームとしてのタイル仕上げの中庭が見えてくる。アウタールームを囲んでリビングダイニング、洗面室、浴室、和室が「コの字」に配置された内側に眼が向くコートハウスである。外部を廻ってみると開口部は極端に少ない、南側は上部に横長のはめ殺し窓、西側には通風用の窓しかない。それに対して、内部で大きな開口部を設けることによって各部屋からの視線をアウタールームに向かわせる仕掛けとなっている。各部屋が視線、動線で常にアウタールームと関わりを持つ構成がこの家に大きな拡がりを持たせている。

 椎名英三は、日本大学理工学部建築学科を卒業後、大高建築事務所を経て住宅設計で有名な宮脇檀建築研究室に7年間在籍した。宮脇檀(1936-1998)は、ちょっとでも建築に興味のある人には知られた建築家だったし、特に住宅作品の質の高さは図抜けていた。1980年に日本建築学会賞を受賞した「松川ボックス」を始めとして、ボックスシリーズと銘打って発表される作品はいつも新鮮だった。一般の読者にとっても読みやすく単行本にもなっている「いい家の本」・「男と女の本」・「父たちよ家に帰れ」・「暮らしをデザインする」などなど、宮脇檀の著作は数多い。「生活すること」に視点を置き、「住宅は道具」、道具であるからには、見かけのよさだけではなく使い勝手の良さを、先ず追求すべきという宮脇檀の考えと巧みな設計術を椎名英三は学んだ。

 高崎Sa邸と同じコンセプトでつくられた、RC造で規模も大きめのアウタールームのある家・前橋「光の森」で椎名英三はJIA(日本建築家協会)新人賞を受賞した。10月号の「住まいの設計」で「建て主の要望は100%かなえるようにしたいと思っていますが、それを超えたところに設計者と僕を選んだ意味があると思って欲しいのです。住むために必要な機能だけではなく、精神性が高まる場であることを知った上で、僕に住宅の設計を依頼して欲しい」と語っている。2002年の年末、高崎では珍しく雪がちらつく夕方からの竣工パーティーだったが、施工に携わった人達と施主・設計スタッフ手作りの料理と赤ワインを楽しみ、リビングの大きな窓越しからアウタールームを眺め語った宵こそ心地よい。あれこれ悩みながらつくりあげる技術を忘れてはならないと改めて感じさせるひと時だった。

                                          (青柳 剛)

ご意見、ご感想は ndk-24@ndk-g.co.jp まで


「森の声」 CONTENTSに戻る