□ どうしても欲しいハツタケ                                                          平成19年11月5日


 食欲の秋といわれるから秋に収穫される食べ物は旨いものばかりだ。海の幸なら秋刀魚、秋鯖、秋鮭などがうまい、山の幸もいろんな味覚が味わえる。秋の収穫物の新米、新蕎麦から始まって葡萄、りんご、栗、柿、きのこ、銀杏など思いつくだけでもきりがなく挙げられる。庭先にある栗の木はここ数年とんでもないぐらいの量の栗がなり、10月にはそれこそ毎日栗拾いに追われた。すぐそばのリンゴ園に行けば、りんご狩りの大型バスが連日押し寄せている。りんごはこれから冬に向かってもっと美味しくなる。蕎麦も春より秋蕎麦のほうが香りも良くていい。山の幸は、採れたてもぎたてを味わえるのが楽しみだ。今日の話は食べ物の話、決して贅沢ではなくても美味いものを求めて貪欲な気持ちを持ち続けることの大切さの話である。

 美味いものを求める貪欲さといえば、先日の知り合いに優る人はいない。毎年秋になると、きのこを求めてやってくる。どこの店がいいきのこを売っているかを地元の人よりも知っている。わざわざ東京からやってくる。きのこは、マツタケが香りもよくてきのこの王様のような感じがするが、ナラブサが歯ごたえもいいしきのこを味わっている感じがする。きのこを求めてやってくる知人は、ハツタケを欲しくてやってくる。緑青が沸いたようなきのこのことである。子供の頃に私の母の実家の叔母が作ってくれたハツタケの佃煮が忘れられないそうだ。自分でそのときの味を思い出しながら料理をするのだという。今年は10月にハツタケを求めてやってきたが結局は空振り、もちろんいつもの店にも並んでいなかったし、知り合いのきのこ取りの名人に頼んでおいても当日までには収穫はなかった。

 ようやく手に入ったのがそれから3日後、大きさも丁度いい、買い物のビニール袋一袋ぐらいのハツタケが手に入った。夕方6時過ぎに欲しがっていた東京の知人に電話をすると、しばらく考えている。「これから宅配便で送り明日の朝には手元に届く」といっても納得した返事が返ってこない。考えあぐねた返事が、これから車で取りに来るという。ビニール袋一つのハツタケを、これから車で取りに来るという発想には驚いた。確かにきのこは一日置けばそれだけ新鮮さは失われる。それでも東京の都心から関越高速道路に乗って受け取りに来るほどの物ではないと思っていた。結局、電話をし合ってから一時間後、両方の中間地点、鶴ヶ島インターで合流してハツタケを手渡した。

 美味いものを新鮮なうちに手に入れて料理したいという貪欲な気持ちが現れたちょっとした事件だったが、家に帰ってあの日の夜にハツタケの佃煮を早速料理し出したと思うとこちらの気持ちもすがすがしくなってくる。子供のころの味を思い出しながら、きっと懐かしい佃煮が出来上がったと思う気持ちがそうさせる。食べ物に執着する人と一緒にいると面白い。話題はどんどん拡がっていくし、話の中身も差しさわりがなくソフトになる。どこの店が美味い料理を出すとか、料理の仕方だとか、決して高価でなくても味の良さに執着した会話になるから話は弾んでいく。他人の悪口にもならないし、下卑た話題にもならなくいい時間を過ごすことが出来る。美味いものへの貪欲さ、毎日の生活が豊かになっていくような気分になることは確かだ。う〜ん、来年の秋こそは、もう少し多めに「どうしても欲しいハツタケ」を確保しておかなければ・・・。


                                          (青柳 剛)

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