□ 幻のポンピドーセンター                                          平成19年11月26日


 建築のデザインの道に進もうと思ったきっかけが、黒川紀章の存在であったことだけは確かだ。あの当時は日本全体が高度成長に向かってまっしぐらだったし、建築ラッシュは凄かった。東京オリンピックの各施設は丹下健三を中心とした建築家のグループでそれまでには見たこともないようないろんな形態が呈示されていた。その後が超高層の霞ヶ関ビルと西新宿の再開発に伴う京王プラザをはじめとした新宿副都心計画、そして大阪万博へと向かいだしたから建築の分野はすべて花形だった。丹下と黒川の名前は、高校生だったころから知っていた。当時、一般の人にも知られる名前だった。特に黒川紀章の名前は、語呂合わせもいいし、紀章−きしょうという呼び名も新鮮に聞こえた。名前と長髪の若手建築家としての格好良さに惹きつけられたのである。神田駿河台下の本屋で立ち読みする黒川紀章の写真と特異な建築の形態に憧れながら、早稲田大の建築学科に進むことになった。

 いざ、大学に入って建築のデザインを学びだすとすぐに他の建築家に眼が向けられた。どちらかというと、黒川は建築のデザインの潮流の真ん中あたりにいすぎてあまり面白くなくなったというか、もっといろんな建築家の存在を知りだしたから眼が向かなくなったのかもしれない。それは、吉阪隆正を始め篠原一男であり、磯崎新であり、菊竹清訓であり、原広司であり、・・・、学びたい建築家の数に枚挙に暇がなくなっていったのである。そんな中にあって、忘れだした黒川の作品の中でも強烈な印象となって残っているのは、黒川のパリのポンピドーセンターの国際コンペ入賞作品だった。広場に向かってチューブで覆われたエスカレーターが45度に振れて配置されたエネルギッシュなかたちをした計画だった。最終審査まで残ったが、実際の審査員の評価はこの黒川の案が図抜けた最優秀案だったとも言われている。事の真相ははっきりしないが、パリに建てる建築を日本人に任せるのではなく、当時のポンピドー大統領の最終的な決断で他の案に決まってしまったのである。

 あの黒川紀章が亡くなってしまったという思いは強い。「本当に好きだったんだよ」との言葉を若尾文子に残して黒川が73歳で亡くなったことは、マスコミでもうたくさん報道されてきた。今年の春先から、黒川のマスコミに露出する頻度が多くなった。もちろん都知事選と夏の参議院選挙に立候補したからそうなった、黒川の特異なキャラクターも影響し、マスコミには人気があった。建築家としてよりは、何を発言するか、どんな行動をするか、どちらかといえば面白おかしく焦点が当てられた報道が眼についた。建築の設計は、建築を通して街づくり、国づくりを考える役目があるが、しかしながら点として部分としての理念とかたちの問題提起だから、与える影響の範囲は限られてくる。力は小さい。そんな表現の限界感から、おそらく黒川は政治に直接自分が関わってみようと考えた結果が今年の春先からの行動だったと思われる。建築の持つ限界感、それを一気に解決するには政治の持つ力、行政への関わりがなくしてあり得ない。建築家としての総仕上げが政治への直接参加だった。

 誰もが一度はどこかで見たことがある中銀カプセルマンションは、当時黒川達が呈示していたメタボリズム(新陳代謝)を直接形態に表現したことでの意味は大きかった。建築が増殖し変化する、取替え可能な建築のメッセージがイメージとして伝わる、まさに時代背景を反映したモデルだった。その後、最近の六本木東京ミッドタウンの美術館まで、世界中で数多くの作品を発表してきたが、忘れられないのはやはりポンピドーセンターのコンペ案である。選ばれたのはレンゾ・ピアノとリチャード・ロジャーズの案、1971年、図抜けた黒川の案が選ばれなかったのもまだまだ日本人が国際的に評価されなかった時代もその一因だった。そんなことを考えながら、当時にしてはかなり高価だった三一書房出版の色褪せた「現代日本建築家全集」を書棚から取り出してみた。磯崎新と黒川紀章と原広司、3人をまとめた作品集である。今なら、それぞれ一冊でも足りないぐらいの作品を発表していることを考えれば隔世の感がある。黒川のパリの計画案には、あちこちにいっぱい線が引いてある。図面の表現も参考になるほど画期的だった。そこには数え切れないほど黒川の作品を読み込んだ過去が甦ってくる。建築のデザインに進もうとしたきっかけ、名前と格好良さだけに惹かれた黒川紀章、「黒川紀章お別れの会」がテレビで放映される中、改めて「幻のポンピドーセンター」に思いを寄せる秋の夜だった。


                                          (青柳 剛)

ご意見、ご感想は ndk-24@ndk-g.co.jp まで


「森の声」 CONTENTSに戻る