□ 半歩先                                                                     平成19年12月3日


 「半歩先」と最後の締めくくりの言葉にした先週の日曜日の講演会が終わった。3連休の終わりの日の講演会だったから企画した人はもちろん聴きに来る人の熱心さもあって引き受けた。夏頃に講演依頼の話があったが、返事もせずにそのままにしておいたら月日が経って断りきれずに講演をすることになった。去年は何度か講演をした。数えてみると2ヶ月に一度以上の割合で人前で喋っていたことになる。去年の後半から今年の夏前までは、講演会・セミナーを企画する側に回っていた。企画するのも面白い。思いつきで講師を呼んで来るわけにもいかないから、ストーリーを組み立てて企画することが面白いのである。話す内容はもちろんのこと、会場に座っていて聴衆の反応を見ているのも楽しい。もっと言えば企画する側の頭の中がさらけ出されるような気分にもなる。久しぶりに聴衆と向き合って講演をしてきた。

 授業では90分ひとコマの講義をしていたから、60分の持ち時間は少し辛いかなと思っていた。言い足りないで終わってしまいそうな気がする。60分は駆け足になる。それでも資料はきちんと作らなければいけないと思って考えていることを一週間ぐらい前からまとめだした。学生の反応もそうだったし、聴衆は話す側のかけたエネルギーというかポテンシャルに比例する。毎年同じような講義でも聴く方が入れ替わるから良いなんて思って、ろくに準備をしないで人前に立てばたちどころにマイナスの空気が流れ出す。色褪せた同じノートを使い、下を向きながら毎年ただ読むだけで退屈な講義をして批判されていた大学の先生の話は沢山ある。後は講演当日の話し方、パワーポイントに決して頼らない、会場の聴衆の顔つきを見ながら自分の言葉で話をしていくことが大切だ。見えない空気が聴き手と話し手の間には流れているのである。

 講演が終わって、司会者から会場に向かって質疑応答を問いかけたから驚いた。事前に聞かされていなかったから面食らったが、この質疑応答は講演会で一番大事なところなのである。講演会を企画していたときは質疑応答の時間をたっぷり取っておいた。ともすれば、講演時間に匹敵するようなクエスチョンタイムになった。講演で聴くことが出来ないような本音の話を引き出すことが出来るし、講演の中身を別の角度からもう一度会場全体の人が反芻できる。そして、講演になかった素朴な質問こそ意味がある。講演の中身を復習するような質問はいい質問でない。「馬鹿にいい話だが、隠れている悩みはもっとあるんじゃないだろうか?」、「現実はいろいろと問題を抱えてて、違うんじゃないだろうか?」、こういった素朴な質問は聞いた話の中身が眼の前で現実のものとして理解できるようになる。このあたりが会場に直接参加して講演を聞く意味があるのである。

 「半歩先」を歩いているのがリーダーと締めくくった講演会が終わった。去年はフラットな組織、組織の水平化といい続けてきたが、今年は少しずつ変わりだした。時代の変化と共に変わらなければおかしい。組織の前を「10歩先」を歩いている頭でっかちでも、ましてや組織の中に埋もれて歩いているのも、組織と離れたところを歩いているリーダーも時代に合わない。放っておくと組織は勝手に独自な空気が出来て、思いとは別な方向に一人歩きし出して行く、前に進む気持ちがいつの間にか消えだしてしまう。前に進む「仕掛け」をするには組織と一体になって「半歩先」を歩まなければ「仕掛け」も見えてこない。こんな話をしながら時間通りに60分の講演会が終わった。たまには聴衆と向き合って話すのもいい、聴衆の空気を感じ取りながら頭の中でまとめてきたことを自分の言葉で話せば自分のためにもなる。「半歩先」を歩いていなければ・・・・・。


                                          (青柳 剛)

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