□ 後で                                                                           平成20年12月6日


 JR東日本の東北・秋田・山形・上越・長野と全部の新幹線の座席においてある月刊誌「トランヴェール」、毎日多くの乗客が乗り降りするわけだからかなりの人の目に留まることになる。1ヵ月間も通せばとんでもない数の人が読むことになる。隠れたベストセラーなのかも知れない。温泉だとか食べ物、JR東日本の沿線の観光案内がイラスト付きで載っているのも楽しいが、何といっても毎月楽しみなのは巻頭エッセイである。多くの人に読まれるからエッセイを担当する人も、これはという人が選ばれている。短い文章だが鉄道に絡んだ話を織り交ぜながら、分かりやすく、ジ〜ンと余韻が残るエッセイを毎月載せている。この何ヶ月間は内館牧子が担当しているが、これがまた良い、先月の「踊り子号の男」なんかは感動のあまり家にまで雑誌を持ってきてしまった。

 いつのことだったか内館牧子が伊東に出かけるために「踊り子号」に乗ったときのことから話は始まっている、・・・列車が湯河原を過ぎたころだったと思う。突然嗚咽が聞こえてきた。近くの席で、50代かと思われる男性乗客が泣いている。彼は絞り出すような声で、連れに言った。「女房、ずっと元気で生きているもんだと・・・頭っから決めてて・・・あんなに急に・・・」彼と連れの会話によると、3カ月前に妻が事故で急死したらしい。彼は妻を大切に思っていたし、いつも感謝していたが、それを表現しなかったようだ。涙声で、「旅行とか人気のレストランとか温泉とか、行きたがっていたのに、俺は『定年後はいつでも行ける』とかいって、仕事や自分のことを優先して・・・」と言うと、連れに向かってつぶやいた。「お前はちゃんとやってやれよ。人なんて急に死ぬんだからさ・・・『後で』なんて言っていると・・・相手がいなくなっている・・・」。

 その後に続く文章は「おしん」を書いた脚本家の橋田壽賀子と「ひらり」を書くことになった内館牧子とのやり取り、・・・・私はNHK朝の連続テレビ小説「ひらり」を書くことになった。先生は大喜びされ、一席設けてくださった。私は暮れ色の熱海が一望できる一室で、たった一つだけアドバイスを頂いた。「出し惜しみしちゃダメよ」これは強烈だった。さらにおっしゃった。「半年間も続くドラマだから、ついついこの話は後にとっておこうとか、この展開はもう少ししてから使おうかと考えがちなの。でも、後のことは考えないで、どんどん投入するの。出し惜しみしない姿勢で向かえば、後で窮しても必ずまた開けるものなのよ」実はそのとき、私はすでに半年分の大まかなストーリーを考えていた。出し惜しみと水増しのストーリーだった。熱海から帰った夜、私はそれを全部捨てた。向き合う姿勢が間違っていたと思った。「出し惜しみしない」という姿勢は、人間の生き方すべてに通ずる気がする・・・・。

 「踊り子号の男」の締めくくり・・・私が伊東で下車するとき、妻を失った彼は、虚ろな横顔を見せて窓外を眺めていた・・・、あれこれ思いを巡らし、新幹線に揺られ、ジ〜ンとなりながら、何度も読み返した。なるほど、「後で」と思って後回しにして後悔をした思いは誰もが持っている。そして、内館牧子が橋田壽賀子から教わったことは、出し惜しみはダメ、そのときそのときに全力を出し切って物事に打ち込むことを言っている。「エッセイは日記ではない」と言いながらも、エッセイが日記になりそうな自分のことを書き、良い文章で表現していたのは阿川佐和子だった。たらたらと、旅行記、食べ歩き、思い出話で終わってしまいそうなのがエッセイ、エッセイはしっかりと作者のメッセージを伝えて始めて、感動する珠玉のエッセイとなる。少し古いが、早速、内館牧子のエッセイ集、「女は三角 男は四角」と「女は腕力 男は魅力」をとりあえず買って読み出した。電車に揺られながら読むエッセイとは少しだけ違う。今月号の「トランヴェール」、又、心の揺れが電車の揺れと共に伝わってきそうだ。
(青柳 剛)

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