□ 住吉の長屋                                                                      平成20年12月25日


 1年の締めくくりは、やはり建築の話で締めくくろうと思っている。安藤忠雄の建築展を見に行ってきた。60年代から日本の建築界を理論的に牽引してきた磯崎新のことは、もう、建築学科の学生でさえ語られなくなったというが、今だ安藤忠雄の人気は高い。建築のジャンル以外の人でも安藤忠雄のことを知っている。それだけ話題となり、時代の中心に居続けて建築を作り続けているということもあるが、その経歴も一般の人には興味を抱かせるのである。独学で建築を学んだこと、プロのボクサーだったことなど、異色の経歴がそうさせる。堅い、蜜実な打ち放しコンクリート仕上げが特徴的である。素材としてのコンクリートの野性を引き出した感覚は鋭いものがあった。安藤忠雄の作品の中でも原点と言われる大阪「住吉の長屋」の原寸大の模型が展示されているといえば見に行かないわけには行かない、暮れの押し迫る展示会最終週に見に行くことができた。

 建築を学びたての70年代半ば、作品「住吉の長屋」と「都市住宅」誌に載った論文「都市ゲリラ住居」は強烈だった。それまでの潮流であったモダンリビングとしての住居のあり方に対する挑戦だった。「住吉の長屋」は、単純に言えば、間口二間、奥行きはふたつのコンクリートBOXとそれに挟まれた中庭空間によって構成されている。どのスペースに行くにもこの中庭を通らないと行くことができない、ブリッジが渡されているが、中庭はもちろん外部空間、雨も降れば風も吹き抜ける、傘を差さないとトイレにも行けないと批評された住宅だった。ファサードは、正面入り口としてのドアの高さだけの開口がひとつ、コンクリートの壁に空けられているだけ、それは周囲の環境に対して無表情な住居だった。住み手が住居に対する、生活の営み方に対する考え方がしっかりしていないとあり得ない構成だが、安易な便利さと快適さを追い求めるのではなく、小さいながらも自然に対して正面から向き合う豊穣な住空間が出来上がっていた。

 当日、会場に着くと安藤忠雄の声がスピーカーから流れている。ちょうど予定外の対談をしているところだった。会場にはスケッチ、模型、写真、ドローイングと、ここ10年の安藤忠雄のほぼすべてが表現されていた。大阪、神戸、東京、ベニス、アブダビ、メキシコ、バーレーンと日本各地はもちろん、海外にまで幅広い、様々なプロジェクトだ。15坪の「住吉の長屋」からスタートし、建築家があまり見向かなかった商業建築にスポットを当てながら、建築界に常に新鮮な発信を続け歩んできた軌跡である。その中には巨大なスケールのプロジェクトにまで及んでいる。会場をひと通り見ながら4階のフロアーから3階に降りると、そこにはコンパネで出来た実寸大の模型・「住吉の長屋」が展示されていた。打ち放しコンクリートの雰囲気は味わえないが、充分、変化に富んだ空間構成は味わえることが出来る。中庭からは直接外部空間へとつながり青空も見える、中庭に渡されたブリッジの効果も実体験でなくては味わえないことだった。

 乃木坂のギャラリー“間”で開催されていた安藤忠雄建築展、地下鉄日比谷線の六本木の駅からミッドタウンを横目に見ながら、あえて時間をかけて会場にまで到着した。会場に着くまでには本当に白くてお洒落な街並みが出来上がっている。猥雑などちらかといえば怪しげな雰囲気だった旧防衛庁の周りの六本木は、もう、今はない。考えてみると、安藤忠雄の足跡も、この街の変わりようと同じようになぞることが出来るのかもしれない。1970年代、向こう三軒両隣の長屋に忽然と現れたコンクリートのBOX・「住吉の長屋」、ここを足がかりに幅広く数々の建築作品を発表してきた。「都市ゲリラ住居」の概念そのまま、常に時代に異議申し立てをしながら闘う建築だった。会場の実寸大の「住吉の長屋」を何度も出たり入ったりし、帰りに六本木の駅に向かいながら、今度はミッドタウン内の安藤忠雄設計の複合施設「21_21 DESIGN SIGHT」を見ると不思議な感覚にとらわれる、それは、実寸大の模型のベニヤと打ち放しコンクリートがそうであるように、安藤忠雄の「原点と現在」が複雑に交錯するネガとポジのような感覚なのである。
(青柳 剛)

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