□ 壊れていく技術者                                                      平成21年12月3日


 時代の空気と共に建設技術者のありようは変わっていく。早稲田大学の建築学科に入学するのには大変だった。入学してから気づいたのだが、おそらく東京オリンピックの建設ラッシュ、その後、「霞ヶ関ビル」を始めとした超高層ビルが建ちだし、大阪の万博開催に向けて建築ブームが続いていた時代背景がそうさせた。当時、人気がある学科だった。地方の高校生にとっては難関だったが、定員の3分の1を占めていた付属の早稲田高等学院からやってきた学生はそれこそ優秀だった。聞いてみると、廻りにいるのは学院の生徒会長を務めたり、成績も上から数えたほうが早かったという学生ばかりだった。理系選択の高校生は、概ね成績順に建築学科にやってきていた。付属出身の学生は入学当初はそれほど目立たなかったが、4年の間にジワジワと持ち前の素質を生かしながら積み上げ、卒業する頃にはさらに一層優秀さに磨きがかかった学生となって育っていった。社会人になってからも全国に散らばったこれらの建築技術者としての評価は、それぞれ高い。その後も同じように建設に対して注目を浴びていた時代が何度か訪れたが、夢と希望に満ち溢れた表現者として技術者の果たしてきた役割は大きかった。

 マイナスの話が出たのは、その後オイルショックの時ぐらいだったが、この何年間かの状況を辿ってみると状況は一変している。「六本木ヒルズ」、「東京ミッドタウン」などの大規模な都心開発や建築家安藤忠雄などがマスコミの脚光を浴びる度にほんの少しだけ上向きの状況が起きることがあったが、概ね下降気味、建設不遇の時代が続いてきた。それどころか、ここにきて超不人気の時代がやってきたといっても言い過ぎでない。建設の中でも特に土木の技術者の存在価値が低くなっている、ましてや、ここ数年土木工学科の名称すら消えつつあるという。土木という名前が付くだけで人気がない、土木の前に環境・都市という名前が付いた学科が多くなってきた。もっと極端な例を挙げると、先日、全国から集まった建設業経営者の会議で出た話は耳を疑った。技術系高校の進路指導の先生が「もう建設業には将来性がないから他の産業に行きなさい」と薦めるという話である。それなりの思いを持って建設技術者の道を歩もうと決めた若者にとって、ものつくりの現場に入るスタートラインでこんな状態では益々不人気度に拍車がかかっていくのである。

 もうひとつ手元に厳しいデータがある。これも別の建設業の会議で話題になったことだが、早速詳細な資料を郵送で送ってもらった。今年度、四国でとった土木の技術者の年収と時間外勤務のアンケートのことである。ただの年収だけのアンケートならばあり得そうだが、評価された優秀な技術者に限定をした年収のデータをまとめたのである。言葉が悪いが技術者にもピンからキリがあるが、ピンの人限定、公共工事の竣工検査で80点以上をとった技術者に的を絞った年収である。80点以上をとるということは気構えが大事なことはもちろんだが、現場の管理を含めて膨大な量の管理書類の取りまとめ、加えて地域住民とのコミュニケーションがうまくとれていないと結果は出すことが出来ない。総合的なマネージメント能力が試されるのである。内訳を見てみると、一番少ない30歳代後半の技術者で300万円、その次が40歳代半ばで312万円、そして320万円34歳と続き、一番多い方の人で46歳660万円の年収となっている。しかも、一番多い年収の人の月平均の残業時間が100時間になってこういった金額になっている。調査対象の技術者のほとんどが1億円から2億円がらまり、工期も1年近い工事を担当している。これは、どう見ても厳しいし、他産業に較べて優秀な技術者が育たなくなってしまうことを表している。

 建設技術者の1番の特徴は、2度と同じものをつくることがないということである。当たり前のことだが、工場生産と違って、どの工事も一品一品現地生産である。雨も降れば風も吹き、寒中雪が吹きすさぶ中でのものつくりの作業に追われることもある。毎日が変化の繰り返しである。指図しなければならない現場作業に当たる技能労働者も入れ替わる。工期内に段取りよく仕上げるために建設技術者に求められる資質は折に触れての判断力、総合的なマネージメント能力が求められる所以である。加えてIT化の進んでいる産業が建設産業、CADの図面作成作業に始まってすべての提出確認書類が電子化されていることも難易度に拍車が掛かっていく。どの作業所に行ってもそれぞれの技術者にはパソコンが配置され、最近は1人で2台を駆使しながら作業に当たっている技術者も見受けられるようになってきた。今の時代はパソコンを縦横無尽に駆使することが出来なければ、1人前の技術者として認められない。その結果、竣工時の書類はいつも膨大な量になるのである。

 技術者の資質は、現場が仕上がるたびに向上していく。現場の判断力と纏め上げる総合力をつけながら育っていくわけだから、育っていくには時間が掛かる。それに反して、四国の優秀な技術者の年収アンケートのデータは辛いものがあるし、政策に影響されながら翻弄されていくことが繰り返されれば、技術者としてのモメンタムは一気に下がりだす。極端な例が「八つ場ダム」の突然の中止発言、ものつくりの技術者にとって心が一気に萎えていく。自分たちが作り上げてきたものの目的が消えてしまうことがそうさせる。廻りを見渡しても優秀な技術者が建設産業から離れて行った例は多い。技術者不足は深刻な状況になりつつある。災害時にも的確な判断をするのは現場を良く分かった防災能力一級の技術者たち、この人たちがいなくなってしまったら何も対応ができなくなってしまうことにもう一度眼を向けるべきである。早稲田大学の建築学科で建築のデザインを学んで夢中になっていた時、それを支えていたのは、難しい要望をうまくまとめて図面が仕上った時、そして図面通りの建築が出来上がった時の充実感である。あの気持ちが消えていくどころか、マイナスの話ばかりが繰り返されれば表現者としての技術者の心は壊れていく。「壊れていく技術者」と共にものづくりの技術はもちろん、そのうち地方、いや国家そのものが壊れていくのである。(11月18日 建設通信新聞より)(青柳 剛)

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