□ 「選挙は終わればノーサイド」                                          平成23年5月16日


 選挙は都市の先進性が表れてくる。身近な選挙になればなるほど濃密な人間関係が影響する。かといって、知り合いの候補者を選ぶのに、好き嫌いで選ぶわけにはいかない。今年もトップ当選で再選を果たした東北の「美人過ぎる市議」は、あれだけ日本中で注目されているから別格だとしても、候補者の顔が小さくて今風だとか、すらっとして背も高いなどと見た目だけで選ぶものでもない。ましてや雰囲気、選挙のパフォーマンスにばかりに気をとられれば判断を間違える。ほかにも、ただ単に年が若いだけの基準で選んでいたら後で後悔するのは有権者、裏切られた気持ちがそのうちきっと芽生えてくる。裏切られた例は、誰もがいくつも思い浮かぶだろう。候補者が政治で何をやりたいか、しっかりと見極めることが大切だ。政策の中身でしっかりと判断しなければならないのである。候補者がどうなっていくのか年明けから二転三転しながら結局は現職知事の立候補に決まった都知事選に始まり、県議選、そして市町村長選と市町村議選、2段階に分けられた今年の春の統一地方選が終わった。

 濃密な人間関係の中で生きているのが地方の生活だから、選挙には関わらざるを得ない。候補者が何を考えているかが一番大事、そういった意味では「東日本大震災」を受けての自粛ムードの選挙は歓迎される状況だった。余分なことがそぎ落とされ、候補者の政策だけが浮き彫りになり、見極めやすい。分かりやすい例が都知事選だった。震災以降の都知事選は、選挙期間中殆んど選挙活動らしい活動もなく、「東京を災害からしっかりと守っていく」という象徴としての防災服を着通しながら通常業務に当たった石原慎太郎知事がそのまま選ばれた。得意のパフォーマンスがマスコミで取り上げられる回数の少なかった候補者の票は、伸びようもなかった。選挙に付き物の遊説カーも中止、廻したとしても短時間の夕方5時で早めに切り上げ、名前だけの連呼は自粛、大規模の集会は節電のために中止・・・などなど、自粛ムードの中、身近な選挙も終わった。

 そうは言っても身近な地方の選挙、いつもの様に自粛ムードだけで終わることがない。立候補者の顔ぶれを見ればみんな知っている人ばかり、自粛だけでは済まなくなってくる。選挙で当選するためには、「ジバン(地盤)・カンバン(看板)・カバン(鞄)」の3バンがなければというが、地縁・血縁・企業などの団体票に知名度、それに加えて資金力、候補者の政策、資質・能力とはかけ離れたところで相変わらずの選挙戦が展開されていた。4年に一度の選挙だから町の中すべて選挙の話題で一色に染まっていた。高揚した気分にちょっとした擬似戦闘モードまで加わって異様な雰囲気に包まれる。選挙事務所にいろいろな人が出入りしては、夜遅くまで選挙戦略を練ることになるが、人が集まれば戦略の合間の噂話で盛り上がる。そして終盤戦、選挙も過熱し出せば、噂話もエスカレートした挙句に相手陣営の中傷誹謗もひどくなる。噂話も高じて、時には相手候補の私生活まで暴かれた、嘘かまことか分からない怪文書まで出廻り、泥仕合の様相を呈しながら選挙戦が終わることになる。

 選挙は終わった後に都市の先進性が表れてくる。自粛ムードといってもごく一部の人だけ、濃密な人間関係の中で地方の選挙が終わった。「選挙は恐ろしい。終わってみると、人間関係からどこで何を買うかという生活スタイルに至るまで、すべて選挙の構図がそのまま引きずられてしまう。相手陣営だった店には決して足を向けなくなってしまう。特に首長を選ぶ選挙なんかひどいもんです!」という指摘は地方都市にはよくある話だ。顔が見える中での泥仕合の選挙の結末、都会の選挙との差は、きっとこの辺のところにある。しかも小さな選挙になればなるほどこういった傾向は強くなる。選挙と生活は別、もちろん商売も別、終わったその日から戦った相手陣営ともわだかまりのない関係を築くことが出来れば、地域は活性化する。地方が濃密な人間関係にまみれた選挙を繰り返しているから都市との格差が生まれてくる。地方が取り残されていく。選挙は候補者の政策、資質・能力で選ぶもの、「選挙は終わればノーサイド」の文化が醸成された都市にこそ活気が漲っている。

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