□ どうなる地方の建設業2「中身の問われる右肩上がりの時代」                             平成25年3月21日


 政権交代以降の暮れから正月にかけての週刊誌、「20年ぶりに春がやってきた、勢いづく建設業界、待ち望んでいた一足早い春がやってきた。建設業界に金を回しだせば、建設業者はすぐにでも高級車を買いだすし、夜の街にも繰り出す。即効の経済効果が出てくるのは建設投資に金を回すこと、一時的に景気は上向くだろう・・・」と概ねこんな書きっぷりの記事があちこちに踊っていた。こういった書き方に対して、全く外れてはいないだろうが、冷静に業界側から検証してみる必要性がありそうだ。先ずは「公共事業が20年ぶりに増額」のあたりから考えてみよう。おそらく20年前にバブル経済が弾けたことをひっくるめて指しているのだろうが、実際はバブル崩壊以降平成10年位まで公共事業は増え続けたのである。総体としての日本経済と建設投資が落ち込んでいる中、この時期が公共事業中心の地方の建設業界が構造改革に立ち遅れ、取り残された産業のひとつになってしまった要因になっている。以降、麻生内閣の時のように多少のブレはあるが、急激な右肩下がりの綺麗なマイナスの棒グラフで民主党政権崩壊までの間落ち込んできたというのが正しい。

 民需を含めた建設投資全体は20年前がピーク、正しくは、14年ぶりに公共事業が増えだした。ものづくりとしての建設業界にとって右肩上がりに続いてきた時代、建設業許可業者数60万980社(平成11年、国土交通省 土地・建設産業局 建設業課調べ)とピークに向かう時代とはどんな時代だったのだろうか?いろいろな分析の切り口はあるのだろうが、団体というひとつの断面を切り取ったおさらいをしてみよう。「新しい仕事が毎年右肩上がりに湧いてくる」といわれていた時代の業界団体、建設業界に限らずどの団体も護送船団方式といわれていたのが特徴であり、団体に入っているだけで団体益をそのまま享受できる時代だった。頂点に日本を代表する企業、其のあとにみんなでぞろぞろと付いていけば良かった。同じ考え、同じビジネスモデルで行動していたのが右肩上がりの時代だったのである。団体に入っていることがステイタス、それがビジネスに役立った。結果として建設業はマーケティングの視点から一番縁遠いところで動き、規模の大小はあっても同じような建設会社が全国各地に高度経済成長とともに誕生していったのである。

 「途中のプロセスはいい、結果がすべての時代だった」と新しいものが出来るだけで評価されていた時代が終焉を迎え、低成長の右肩下がりの時代になると中身を知りたくなってくる。どんなつくり方をしているのか、出来上がった結果だけでは満足しない、つくる過程が問われていく。供給する側としては中身が問われるうえに仕事量が少なくなった分、みんなと同じことを考えて行動していたのでは生き残れない。「価格はもちろん出来上がった後のことまで考えたつくり方」、「入り口から出口いやその後まで」、すべてのプロセスに亘って工夫をしながら結果を出す、他社との差別化が求められる時代となったのである。「いい仕掛けを準備して魚のいるところに小回りの利く、性能のいい船を出す」とは厳しい時代のビジネスの基本、「いい仕掛け」でなくては少ない魚は釣ることが出来ない、入れ食いなんてことはありえない。これこそ建設業にとって最も縁遠かった本格的なマーケティングの考えの導入であり、普通の産業へと向かう動きだったのである。

 2月26日に補正予算も参議院を通過した。翌日には国土交通省も各地方整備局ごとに発注予定を発表しだした。群馬県でも公共事業費関係の予算は補正を含めた「15か月予算」、対前年度比152%の増額の見通しとなっている。見慣れた公共事業費の減り続けた棒グラフが一気にプラスへと跳ね上がっている。このグラフを眺めていれば確かに待ち望んでいた春はやってきた、事業量は増えていきそうだ。株価と共に民需も連動していくだろう。しかしながら、「20年ぶりの春」といっても20年前にそのまま戻るということではない、厳しい時代を通り抜けた後、事業量だけが増えていく、右肩上がりの時代なのである。相変わらず中身は問われていく、マーケティングの考えは受発注者共に根付いている。もう少し踏み込んでいえば、工夫をしながら進んでいく企業は量の増加と共にどんどん伸びていくだろうが、「20年ぶりの春」を待っているだけの企業は取り残されていくということだろう。「中身の問われる右肩上がりの時代」、みんなで底上げになる時代でないことだけは確かだ、業界再編が加速しそうな気がするのは私だけではないだろう。(建設通信新聞3月18日)



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