□  OHPとパソコン                             平成14年5月8日



話し手の話す意気込み、身体化された言葉、そしてポテンシャルが高ければ高いほど、聞き手、聴衆に訴えかけてくるものはその分多いし強烈だ。

最近はどこの講演会に行っても、小人数の勉強会に行っても、パソコンのパワーポイントのソフトを使ったプロジェクター画面のプレゼンテーションが当たり前になっている。画像は綺麗で段階を踏んだプレゼンテーションが可能だ。1コマ1コマも画面に動きが出ていて見ていて楽しい。分り易い勉強会になる。たまに、OHP(オーバーヘッドプロジェクター)のシートを使った勉強会になると、極端にいうと時代おくれの講演者の感は否めない。パソコン画面もうまく作動しなくて、スタッフが慌てふためいている場面にも度々出くわす。それでもパソコン画面の講演のプレゼンの巧みさは数年前から較べるとプレゼン技術の進歩、隔世の感がある。

自分は人前で話をする時は、下手な字でも黒板、ホワイトボードを要求し、努めて書きながら話をするようにしている。話し手は書きながら考えられるし、聞き手も聞きながら書き易い。下手な字でも時間と声と入り混じりながら印象に残るんだと妙に自分自身に納得させて、書きながら話すようにしている。それでも最近はプロジェクターを購入して、パワーポイントの画面で話をしている自分のデジタルな姿に憧れている。

国際日本文化研究センター川勝 平太教授。昨年は30人程の勉強会から始まり、3回川勝平太教授の話を聞く機会を得た。最初は9月11日のアメリカ同時多発テロの翌週。いきなり宗教、キリスト教とイスラム教、「真・善・美」の話から始まった。何が善で何が悪なのか、善悪2項対立概念でなく、「美」を根底に据える事、この視座から考え始めることの大切さ、そして、「美」を定義しようとする途端に「美」が逃げていく・・・。OHPもパソコン画面も使わないで、いきなり立て板に水のごとく熱く語りかけてきた教授の言葉が聞き手の自分に重く響いてきたことが忘れられない。



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