□  演説                                平成14年5月11日



‘話し方’と‘書き方’は強弱があって単純明快なのがいい。話し手が時候の挨拶や御礼から長々と始まると退屈になる。自分は声が大きいのはいいが、人前で話をするのが苦手だ。結婚式の挨拶などを頼まれると、真剣に考え、文章化して、ゆっくりと話を短くするようにしている。「どうせ、みんなよく聞いていないんだから短く、話の下手な分、気持ちが伝わればいい」なんて妙に自分に納得させてしゃべっている。

「森の声」欄で政治のことは書く気はなく、政策だけは書いていこうと思うが、16年ぶりに自分の住んでいる市で同世代の市長が誕生した。昨日が初登庁。地方議員時代がながく、議員からの転進だ。演説の上手な政治家である。声が大きく、メリハリの効いている話し方をする。時と場所・聴衆によって入り方はいつも変えているようだが、演説の冒頭は必ずといっていい程、いきなり、具体的、身近な聴衆誰もが、見・知り得ている体験から入る。たとえば「昨日・□□□山に登って、ふるさと一帯を見渡し、日の出を拝んで感じたことは・・・」身近な話題なもので、聴衆はぐっとひきつけられる。それから話をいろんな政治課題に転換して、最後に自分の考えを主張してしめくくる。川勝平太教授(前出、5月8日)も身近な話題から入った。地元での講演会を依頼した昨年の12月3日も、高崎からの高速道路沿いに見える風景の美しさを車中で感動した事実を、いきなり話し出すことによって親近感を与え、我々聴衆をひきつけた。亡くなった演説上手な何代も前の首相の話は誰も記憶できない国内外の数字、データをそらんじて、話しにすいこまれていった経験がある。要は起・承・転・結がしっかりして、明確になった話し方は聞いていて楽しい。

書物の引用などしながら難しい概念を冒頭にもってくる文章の書き方もある。いきなり概念を呈示させられると、それだけでインパクトがあり、思考回路が働き出す。文章も話し方と同じで、いかに聞き手、読み手の考える力を引き出し、話を展開しながら、もう一度最初の問題提起にたどりつきながら答えにいきつくと、完結し安心する。

演説の大家、アメリカのウッドロー・ウィルソン大統領(第28代、在職1913−21)の答え。(新潮45、2002年2月号より)
「5分の演説を書くのにどのくらいの時間がかかりますか?」
「約1週間かかる」
「30分の演説は?」
「約2日だ」
「1時間の演説は?」
「それなら今すぐにでもできる」



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