□  においのある街                              平成14年7月10日



 ‘近代化’の波は地域から共同体のつながりを消していった波だといっても言いすぎでない。世界中のホテルが同じベッドで、同じシャワーを浴びて、同じ食事を食べられるような‘均質化’された空間の提供を考えられていたように、どこの都市に行っても同質のサービスが受けられ、同質の環境になる事が求められていた。

 私の住んでいる地方都市でも、中心市街地活性化の事業が進んでいる。10何年か前に、大型店舗が進出するのにあたって映画館通りが道幅も広くなって整備された。それまでのこの通りは、小さなパン屋があったり、花屋、床屋、和菓子屋、ラーメン屋、靴屋、洋装店、階段を降りていくと薄暗いスナックがあったり、狭い路地を入ると又飲食店と複雑に入り組んでいた。道幅も狭く、大型バスが通ると歩道がない分歩くのに大変、渋滞までも引き起こした。地域の人たちとの交流は活発そうで、この通りを歩くと子供の声が聞こえ、においがし、何でも間に合う、今思うと本当に雰囲気のある楽しい街並みだったような気がする。

 「行ってきます」「行ってらっしゃい」こういった会話のやりとりが交わせるようなスケールの都市のモデルが大切だ。東京で流行っているものはいいもの、地方の大型店舗のモデルはみんな東京モデルを持ってくる。地方の都市の個人商店の賑やかさの原点は、密度が濃く、大きくならなければ成り立ちは難しい気もするが、自分の年とった母親が買物に行って、持てなくなった時に届けてくれるような関係が出来上がってくるような馴染みさが、地方の都市のスーパーマーケットにない個人商店の原点のような気がする。

 ‘近代化’はややもすると、効率性、合理性のもとに、経済の論理から捨て去るものは多くなる。本来自然発生的に複雑に出来上がってきた街並みに、今になって共同体の役割をのぞむことは出来ないが、何が大事なのか考えると、「空気」とか「風」とか「雰囲気」とか‘においのある街’になる。



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