□  鉄砲を捨てた日本人                             平成14年7月17日



 先日、国際日本文化研究センター教授、川勝平太の講演を聞いた。8ヶ月間の間に4度聞いたことになるからかなりの頻度だと思う。今回は上善如水、美しい水の文明についての話だった。みずみずしい、みずぎわだったという言葉が万葉の時代から日本文化にあるように、美しい水、日本人の意識に美醜の観念が深く関わっている。森がいい水をつくる、森を大切にする文化の必要性を強く訴えかけてきた。

 「鉄砲を捨てた日本人」(中央文庫、川勝平太訳)の話も昨年聞いていてかなり興味をそそられた。天文12年(1543年)種子島に鉄砲とキリスト教が伝来した。伝来した鉄砲に対して1千両の大金を払い、日本人は1年でコピーに成功したのである。1595年、日本は世界最大の鉄砲技術生産使用国となり、またたく間に刀鍛冶の技術を反映して世界一の技術水準、所有数となった。長篠の合戦では織田・徳川の連合軍が、鉄砲隊を順次繰り返すことによって戦国最強の武田の騎馬軍団を打ち負かした歴史の1ページ。

 17世紀、徳川の時代。それまで何万丁、何千丁あった筈の鉄砲が消えた。鉄砲を大体的に使用した内乱、戦争の記述は殆んど見当たらない。このまま技術を保有していつづければ、日本の世界におけるかたちは変わったかも知れない。当時世界一の鉄砲生産技術力を放棄し、火薬の技術は美しい花火を作る技術に転化し、日本人のとして刀をもったのである。

 いつ聞いても川勝平太の話は、最近の厳しい経済情勢の中でしっかりと勇気づけられる。こんな美しい国土を背景にした技術力を、力強く発揮できる国民に対して「学の体系づくり」、自立を強く促される気がしてならない。



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