□  惑溺の一掃                                    平成14年8月7日



 平成16年度から新紙幣に切り替わる。20年ぶりの一新だそうだ。新渡戸稲造の5000円札と夏目漱石の1000円札のデザインはそれぞれ樋口一葉と野口英世に変わるが福沢諭吉の10000円札は変わらない。首相はじめ経済閣僚が福沢諭吉が創立した慶応大学出身者が多いからだとか「憶測」されている。

 自分は宴会などでは最近は殆んどアルコールは飲まない。アルコールを飲まないからといって宴会がつまらない訳でもなく、いろんな話の輪の中に入って楽しく過ごし遅くまでいることが多い。先日も東京在住の高校の同級生たちと楽しく過ごしたが、「酒を飲まない建設会社の経営者?」と怪訝な顔をされる。確かに年中酒を飲んでいた時期もあったかも知れないし、昔は一日の仕事がおわると酒を飲んでおわり、新聞も読まないし、規則も守らないのが職人の世界、その延長にあるのが建設業のマイナスイメージとしてずっと引きずられてきたのかも知れない。

 ‘惑溺’。「福沢諭吉の哲学」(丸山貞男著、岩波書店)を読んだ。福沢諭吉についての論説7篇が収められている。明治20年頃よりそれまで官界に慶応の塾生達を送り出すことから、実業の世界、経済界で活躍することの重要性を問いかけ直したのである。日本を文明国に変えるには実業の世界、実業人の資質が問われている。大切なのは「気品」「人格」。福沢の‘惑溺’の意味は難解だが、「溺」というのは溺れる、耽溺すること。現実に作用する、機能する仕方にかかわりなく、そのもの自体に帰属されることの価値、これが‘惑溺’である(224頁、225頁)。会社組織にたとえると、年功序列で上りつめて部長になったから、部長の椅子に坐っているからと考えることが‘惑溺’であり、役職、自身の働き、役目を考えずそれ自身で価値があると思い込む考え方を取り除かなければならない。

 ‘惑溺の一掃’。福沢諭吉は実業の世界の重要性、明治以前よりそれにかかわる職人から経営者まで、経済界の人たちの資質を高め育成に努力した。経済を根底にすえた日本民主主義の先駆的思想者、早稲田の創始者でなく慶応の創始者福沢諭吉が10000円札の肖像に昭和59年から選ばれて、今回も変わらないのである。俗な「憶測」は間違った一人歩きしがち、福沢諭吉の思想は「天は人の上に人を造らず」に集約され、今の時代輝いてくる。



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