□  「部分」と「全体」                                   平成14年8月22日



 何が「部分」で何が「全体」かから始まって、「部分」を優先させるか「全体」か、「全体」の枠組みはどこでつくり上げるか、人の集団「組織」に関わる話も建築の設計においても真剣に語られてきたが、今後も常に視座において考えなくてはならない。

 会社組織は人が働く集合体だから、資本主義社会では同質の人間がそれぞれの立場の「責任」と「権限」で働くことを求められていた。経営者をトップに、経営者の「責任」と「権限」を委譲しながら新入社員にまで、各セクションごとに階層がつくられて会社組織は構成されていく、ツリー状の組織形態。結果として年功序列、硬直した組織に陥り易い。どちらかといえば「全体」を優先させて「部分」が後追いする組織。ところが異質な人間が集まったのが人の組織。会社組織にとって経営資源は「人・もの・金」それに加えて最近は「情報」とも云われるが、別の見方をすれば「人」は同質の数で数えれば経営資源になるが、人は全部違うから「金」と「もの」と違って合計できない。自発的に弾力をもってモチベーションを高めながら働く組織は、いかに「部分」を優先させられるかにかかっている。経営者と新入社員がダイレクトに結びつくような中抜けのセミ・ラチス組織が今の時代求められているのかも知れない。

 人が生活する場を考える訳だから、建築の設計は常に「部分」と「全体」を意識しなくてはならない。住居においては、個のスペース(部分)と集団のスペース(全体)、例えばリビングの関係をどう考えるか。個室を考えるか、大きなワンルームの家族のスペースを考えるか、簡単に5LDKなんて答は出せないのである。群造型としての学校建築、子供の個のスペースを集団の中でどう生かしつづけるか、低学年と高学年の分離、融合。そして「全体」としての学校建築のかたちをととのえる。都市の計画にも同じことが言えるし、1960年代後半から1970年代まで全国、世界中でさかんに行われた、旧い集落の調査―デザインサーヴェイも「部分」と「全体」のあり方の答えを求める動きだったのである。

 会社組織の中で歯車の1つ、自分の領域だけを守って余分な口は出さない、その日が過ぎていけば良いなんて思っている「たこつぼ」人間は確実に淘汰されていく。与えられた領域以上のものを積極的に、失敗を恐れずぶつかっていく組織人間がいかに多く育っていくかに企業経営はかかっている。人の生活を設計する建築計画。もう何十年も前に、建築家吉阪隆正は「不連続統一体」を、建築家原広司は「有孔体の理論」を呈示した。「部分」と「全体」は大きなテーマ、こんなところに「建築計画を選んだ理由」(8月8日 森の声)がある(文中敬称略)。

 

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