□  ハイパー都市「上海」                                平成14年10月4日



 異文化、異なった環境に接し自分の環境、生活との距離を計り、確認することが旅である。9月、上半期末で慌しく過ごしている中、殆んど何にも準備する事なく飛行機で3時間弱、眼を開けると超近代的な「上海」の空港が眼に入ってきた。用意周到に建築雑誌のコピー集までつくっていくのと違っていきなりの‘通りすがりの眼’からみた「上海」。

 ‘通りすがりの眼’から見る「光景」は所詮‘生活者の眼’にはならない。予測されるアジア的「光景」。自転車、バイク、車の騒音等に加えて路上にまではみだした日常生活と人の数に驚かされ、アジアのどの都市に行ってもアジア的共通感覚に結びつく。急速な都市化の波と混在したそれまでの生活とのアンバランスが‘通りすがりの眼’にとってアジア的「光景」なのかもしれない。それでも都市がつくり上げられていく過程がエネルギッシュに直載的に表されている、アジア的「光景」は元気付けられる。

 ‘ハイパー都市「上海」’。東京がアジアのローカルシティー化してしまうといって丸の内、汐留、品川、六本木などで超高層ラッシュ、再開発が進んでいるのも充分うなずける。人口約1300万人。建築ラッシュ真っ只中。超高層のホテル、オフィスは雲の上に突き出そうないきおいと、マンション建設ブーム。よく「上海」のリバーサイドから撮った写真集に載っている丸い球が2つついている、象徴的な高さ460mのテレビ搭を始め、モダニズム、ハイテク、ポストモダニズム、何でもありの建築デザインが猛烈ないきおいで、あちこちで展開されつづけている。古色蒼然とした租界時代の様式建築群との対比は強烈だ。数年も「上海」を訪れないと、街の「光景」はたちまちのうちに変貌してしまう程の「スピード」と「変化」、建設投資はまさに右肩上がりそのもの。

 何も準備しないでいきなり訪れたアジアの「光景」。‘通りすがりの眼’で異なった環境に接し、距離を計り確認する。バブリーな都市づくり、何年か前の日本の「光景」、薄っぺらな「光景」・・・などと厳しい時代になったとは言え、戦後の高度成長の波にのった自分の環境の「豊かさ」を実感し安心できる国「日本」を確認するのがアジアへの旅行かもしれない。「豊かさ」の中に知らず知らずのうちに培われてきた「貧しさ」を心の中に発見することを忘れてはならない。
                                                         (青柳 剛)



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