□  Japan as No1                                     平成14年11月4日



 「Japan as No1」(E,ボーゲル著)。1ドルが今日は122円。あたり前のことだが円相場が1ドル=200円だとすると国内で200円の製品は1ドルで輸出され、円高になって1ドル=100円になったとすると国内で200円のものが2ドルで輸出となる。外国の人にとって1ドルで買えた日本の製品が2ドルになり、外国の消費者は日本製品を買い控えることになる。日本では輸出が減って輸出メーカーは打撃を受けることになる。逆に安くなった外国製品を日本の消費者は買うことになって日本の輸入は増える。戦後日本の経済が右肩上がりの成長を遂げてきたと言ってしまえばそれまでだが、戦後の経済、今の状況を考える上で1984年、自分たちの生活程度を「中流」と考える日本国民が90%に達した「Japan as No1」の幻想あたりをターニングポイントとして考えなくてはならない。

 「プラザ合意」。1985年9月、アメリカ、日本、ドイツ、フランス、イギリスの5カ国蔵相がニューヨークのプラザホテルで当時懸念されていたドル高是正のために協調介入するための合意声明。「円安ドル高」から「円高ドル安」への是正。実際円は「1ドル=260円台」から「1ドル=120円台」に急騰したのである。円高になって、日本の輸出が減って、逆に輸入が増え、それまでの日本の貿易黒字が減少する。「プラザ合意が」なくても国際経済の仕組みからすれば自然に円高になっていたとも言われているがこのあたりの動きが戦後経済の成り立ちに与えた影響は大きい。日本の企業は生産拠点を海外へと移し始めたし、もう日本は貧乏人じゃないんだから、いつまでもあくせく金を稼ぐことばかりでは駄目、自分で使うことも考えなくてはならないと国際的な評価を与えられたが、自立することなくバブル以降の今の深刻な不況へと引き継がれている。

 ないものを手に入れる上昇志向が「プラザ合意」まで。もう少しくだけた言い方をすれば、日本が消費しやすいように円の価値をあげてやろうという国際的合意。もう日本は貧乏じゃないしそのうえ一生懸命稼ぐことばかり考えないで自分で消費することを考えろという訳。ところがそれまでが勤勉な上昇志向の流れだから日本人は、金を稼ぐことには慣れていても使うことには慣れていないし急に方向転換は出来ない。自分の在り方まで見直さなくなってしまう。

 一向に消費意欲は沸いてこないし、相変わらずの深刻な不況は先が見えない。抜本的な経済体質改善を国際的にも迫られている。需要と供給の市場原理の中で経済は自立し、景気は上向きになる筈だった。ところが現実はなかなかそうはならない。経済先行き不安感と、もともと日本人は「自分のために金を使う」、「稼いだ金を一生かかってどうに使うか」なんて考えは国民性として持ち合わせていない。1980年代には、もう日本人は「ほしい」と思っていたものがほとんど手に入って「別にほしいものが無い」と思うようになった中流意識だから「ものが売れない」という状況は引きずられているのである。

                                                         (青柳 剛)



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