□  臍下丹田                                               平成14年11月20日



 一昔前の人、戦前の人もそうだがもっと前、幕末から明治維新のセピア色の写真の人たち、あごがみんな張っている、殆どの人達が角張った顔。食糧事情が厳しいという事、又、今みたいに歯ごたえがない食べ物ではなく、殆どがしっかり噛まないと消化できない食糧事情と、「歩く」日常生活からかたちづくられて来た「顔つき」。「顔つき」の特徴は、集団となったときに顕著になる。最近はどんな食べ物でも、飲み物でも手に入る飽食のやさしい時代、「顔つき」の厳しさが生活と一体となって表現されていることを忘れてしまいそうになる。「日本人らしさ」が「顔つき」だけでなく体型からも失われ、そして生活スタイルの変化となって思考の仕方までも変えていくことになる。

 「臍下丹田」。臍の下の部分、腹から沸いてくる身体感覚の事。臍の下にしっかり帯を締める日本の伝統的な着物、「法被、和服」。最近は、団体旅行、温泉で宴会、と言うスタイルもほとんどなくなってしまったが旅館での若い人達の浴衣姿は、やっぱり変。浴衣の着方が着付けない所為でうまくいかない訳ではないと思うが、殆どの若い人の浴衣の帯の位置が変。腰骨から上、あばら骨のすぐ下、ミゾオチ辺りに帯が巻きついて宴会に参加している姿はよく見かける光景。和服である浴衣が直ぐにはだけた格好になって見ていて辛いものがあるし、似合わない。外国人が、成長期の子供が浴衣を着るのと殆ど同じようなスタイル。足が長くなった体型に日本人もなりつつあるといってしまえばそれまでだが、浴衣が体に合わずにうまく着れなくなった日本人のスタイル、体型から考えさせられるものはある。

 「腹を据えて考える」、「腰を落ち着ける」・・・こういった感覚は帯を身体にキチンと「締める」という感覚が基本になって成り立っている。腰骨のところに締めた帯の感覚はどっしりとした安定した感覚、一時の感情に流されない感覚をもたらす。「丹田呼吸」ともいわれる腹式呼吸は深い息を吸い込み、気持ちまで集中してくるし大きな声を出すのにも役立つ。ゆったりと深い呼吸は腹でする、だから腹を帯でぎゅっと締める抵抗感覚は、反動として気を引き締める感覚に結びつくことになる。帯は腹が拡がることに抵抗する。腹の拡がりの抵抗だから腰は引き締まるし、腹と腰で身が引き締まる。同じ布を引き締めるでも頭に巻くハチマキは息を止めた瞬間的な短い時間の頑張り表現、しっかり締めた腹の帯の感覚は「腹を据えて対処する」持続的な深く息をする頑張り表現。腹にさらしを巻いて頭に鉢巻、五穀豊穣を願う神社みこしのお祭り姿は体全体で究極の情熱表現となる。

 日本人は、天候を見ながら綺麗に手を入れ工夫した丹精込めた稲作農業が原点、物事を元々じっくりと考えながら腰を据えコツコツと進めていく「農耕民族」。狩をするときだけ熱中する「狩猟民族」ではない。「君が代」は厳粛な気分になるが、フランス、アメリカ国歌は高揚した好戦的な気分になる。臍の下、腰骨辺りにしっかりと帯を締め、物事の対処をじっくり考える、「臍下丹田」の感覚もこんなところから沸いて来る。今では殆ど見かけなくなったが、戦後どこの家庭でも使われていた丸い卓袱台、卓袱台の高さはきちんと姿勢を正して食器をひとつずつ礼儀正しく持って口に運んで食べるのに丁度よい高さから決められている。食糧事情が良くなって日本人の体型が欧米並みに良くなってきたのは勿論歓迎すべきこと。日本人の感覚にあった生活スタイルが消えていく。そして「日本人らしさの文化、考え方」まで失われつつある、今だけがよければいい「フリーター」症候群、ずり落ちたズボン姿の学生服。先日亡くなった辛口エッセイスト山本夏彦が幕末明治から今までの日本の歩みを象徴的な表現――「脱亜入欧」と看破して、この春、サッカーのワールドカップについて書いていた日本人論が示唆するものは大きい。

                                          (青柳 剛)



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