□  趣味の世界                                               平成15年3月3日


 「若さ」は身体はもちろんだが「考え方」のこと。いかにバランスのとれた「考え方」が出来るかどうかにかかっている。自分はいたって無趣味、あえて言えば仕事が趣味みたいなものと言って働き続けてきたのが胸板が厚くて足の短い団塊の世代くらいまでの企業人間。仕事が趣味なのだからリタイアすると同時に何もする事がなくなってしまう。スポーツでも音楽でも書でも「趣味」は多ければ多いほどいい。だから何かをしなければという気持ちはいつも持ち続けているが、それ以上に大切なのは「趣味の世界」はいつまで経っても終わりのない「習う世界」であるということ。

 「多趣味」の人との話題は豊富、本を沢山読んでいる人と同じくらい会っていて楽しい会話となる。「趣味の世界」は日常のあくせくした業務から離れ、ストレス解消にもなるし人間の幅も拡がるとはいつの時代でもいわれ続けてきたこと。いつまでも若い若いと思っていても、いつの間にか廻りを見渡せば自分より年下の人が大半、仕事で会う人も殆ど自分より年下か同年配。早い仲間はもう後数年もすれば第二の人生の準備に入っている。会社なら管理職世代の50歳代、この年代になるともう他人から「教わること」なんか何もない、「習うこと」も殆どない、「到達した気分」にさえなってくる気持ちが根付き始めている事から逃れられない。頑なな思考回路が身体の衰えと共に「若さ」からますます遠ざかっていく。

 「現場監督病症候群」(森の声10月1日)。建設会社の技術者にとって高校卒でも大学卒でも入社したての2,3年が大変。人と一緒にものづくりに励む訳だから現場に出てもそれまで教わってきた事は皆無といって良いほど役に立たない。先輩社員に聞いて教わるか、現場作業員から見よう見まねで覚えるしかない。この2,3年を乗り切れない社員が脱落していった話はよくある話。そんな社員も10年もすると技術者としての資格も取得し一人で現場の切り盛りも十分こなせるようになっていく。そして現場の所長クラスになれば自分の判断で一気に現場のすべてが廻りだす。もう何もかもが自分の判断で廻りだし、教わる事のない気分にまでなりだすから立ち居振る舞いが尊大な「現場監督病」に陥りやすくなってくる。与えられたものだけを作っているだけのまわりに気遣いのなくなった人間、技術者。ものを作るのに一番大切なやさしさ、ていねいさ、工夫そして「習うこと」への意欲がいつの間にか無くなっている事に気づかない。

 「趣味の世界」。「習うこと」、幾つになっても誰かに何かを習おうとする気持ちが大事。一年の計は元旦にあり、今年はあれをしようこれをやってみようと思いを巡らし続けてきても気持ちだけが先走って何年も過ぎ、今年もあっという間に3月。毎年正月明けのペン習字の案内広告もこんな人の気持ちを掻き立てるために入ってくる。管楽器を習うことを友人に誘われ続けてきてもただ月日が経ってきただけの今の自分。いつまで経っても新しい「趣味」にチャレンジすることが出来ないでいる。「若さ」は身体はもちろん「考え方」のこと。「趣味の世界」は終わりのない「習う世界」。スポーツでも音楽でも書の世界でも「趣味」の多い人がいつまで経っても「若く見える」ことだけは確かだ。「仕事が趣味だけ」では行き着く先が見えてくる、とりあえず熱中すればするほど結果がでる汗だくになった「筋トレ」だけはもう10年近くも続いている。

                                          (青柳 剛)



ご意見、ご感想は ndk-aoyagi@ndk-g.co.jp まで


「森の声」 CONTENTSに戻る