□  魚の目                                                  平成15年4月28日


 「群盲、象を撫つ」とは目の見えない人達が大きな象を撫で大言壮語しながらいろんなコメントをしている姿を例えている諺。一言で言えば全体を把握しないで分からない人達があれこれ論じても駄目と言う事。目は口ほどにものを言う。黙っていても目付きで分かる。輝いてる目、透き通った目、生気を失った目、鋭い目、穏やかな目、悪事を働いていそうな目、色目を使う、流し目、目線をそらす、同じ目線で話す。目について挙げていけばきりがない。目から入ってくる情報が周りの状況を把握するのに一番早い。世の中の動き、考え方をまとめるのに「目」に例えた表現は役に立つ。

 「鳥の目」。いつも高いところから全体を見渡す考え方。高い建物、飛行機から街全体を見渡す。高いところから見渡すわけだから全体の都市の構成は容易に判断できる。細かい部分までは見えてこない。計画する側の論理は「鳥の目」的な考え方に陥りやすい。一万分の一の縮尺から始まって五千分の一、千分の一、五百分の一、百分の一、そして一分の一、原寸となる。常に全体像を意識しながらの計画だから出来上がるかたちは理路整然とした構成になる。会社組織も団体組織も「鳥の目」で考えれば基本的にはいつもトップダウン。象徴的な組織が軍隊組織。階層ごとに責任分担が明確に秩序立てられて傍から見ても全体像が見える組織となる。部分としての個は同質となって消えていく。

 「虫の目」。虫の目で小さな部分から見る考え方のこと。ものをつくる過程は「虫の目」から始まる、部分からつくり上げていく過程が基本。景色が良くて、水の便が良く、その他いろいろな条件が揃った一番住みやすいところに最初の家ができ徐々に集落が形成され、都市は出来上がっていく。自然発生的な集落、都市は計画の論理と逆のプロセスを辿る。「鳥の目」的な全体を考えた計画手法だけでは部分が見過ごされがち。人の組織も同じこと。一人一人の人間が自由に考え、発言し、行動する、部分としての個を大切にした組織は生き生きとした集団として動き出す。歴史が浅くても異質な個の集まり、べンチャービジネスの世界では良くある組織。それでも無秩序、理念のない都市、組織集団になりがち、泡のように消えていく。「虫の目」的に部分、個を生かしながら、どこかで「鳥の目」的な全体を見る網をかける街づくり、組織、考え方が求められている。

 「魚の目」。今の時代、時の流れと変化をきちんと見る見方、「魚の目」が大事と言う事。久しぶりに懐かしく早稲田大学教授戸沼幸市先生の話、「魚の目」の話を聞いた。約180人の建築学科の学生に「目に付いて論じる」課題を出した時の面白い答え、「魚の目」を論じた学生のことを紹介された。「鳥の目」、「虫の目」と違ったいろんな解釈ができる新しい視点、汚れた水の中では何も見えないし、流れがどんなに早くてきつくても「魚の目」はしっかり流れの中を見ている。「魚の目」の見方から考えさせられる見方を教わった。「群盲、象を撫つ」。旧態依然の澱んだ流れの中、ただ待っているだけの組織の中の「魚の目」ではどうしようもない、目も開いていられない。何が正しい答えか、全く見えない今の世の中の急速な流れの中でしっかり早い流れについていく「魚の目」の見方は大切だ。変化を読み取る「魚の目」。「魚の目」をもって行動しなければならない、答えはそれぞれ自分自身の中にある。自分を高めることに違いない。しっかり目を開けて時の流れを見る「目」、そして人間の身体のどこに神が宿るかと考えればそれは確かな「目」、恐らく外れてはいない。

                                          (青柳 剛)  


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