□ 裏返しの地図                                                   平成15年5月23日


 正確な人工衛星で見れば島で成り立っているインドネシアの島の数は2000以上、日本も3000以上の島で成り立っていると知らなかった。かたや大した測量器械もない時代の、例えば江戸市中絵図とかの類の地図を見ているともっと面白い。距離も正確でないから絵図は歪曲され、極端に言うとデフォルメされたかたちとなって表現されている。現代の衛星でつくる精密な正確な測量地図と違って作者の思い入れが現実の距離感とか家のかたちとかと異なり、感情表現がそのまま現れている。目印として強調される建物が大きくなっていたり太鼓橋が妙にリアルに細かく描かれていたりする。今のミニコミタウン情報の鳥瞰イラストマップも同じような表現がとられている。距離感のない子供に幼稚園までの地図を描かせれば実際の味気ない地図と違った途中の公園、遊び場、玩具屋など子供の感情と思い入れがこもって浮き上がってくる。そして普段何気なしに見慣れた地図から読み取る世界は生活感覚までもいつの間にか変えていく。

 「裏日本の先進」(「森の声」2月19日)を書いたら、金沢に一時期住んだことのある友人から金沢の人たちは「裏日本」と言う言葉は使わない、使っても「日本海側」。なるほどそう、住んでいる地域を中心に考えれば「表」も「裏」もない。日本列島を縦断する山並みを境にして「川の流れ」が変わっているだけなのである。せいぜい朝陽が昇る太平洋側と夕陽が沈む日本海側の区別をする事ぐらいが正しい。生活している人にとって見れば生活している場が中心であり、もう少し言えば「表」なのである。金沢の人たちが向いている世界は京都の「雅の世界」との自負もある。金沢の人でなくても日本海側の人たちには「裏日本」の感覚はない。一番離れていても太平洋側の関東地方の最北に住んでいる人間の何気ない発想、言葉使いだった。醸成された意識下の感覚は澱となる。地図の上から見た政治、経済の論理からでてくる市町村合併論議の難しさはこんなところにもある。見慣れた日本地図の全体のかたちから見過ごしてしまう生活のかたち、考え方がある。

 日本は世界中から「極東」と言われているのに、日本人が目にする世界地図はいつも日本が真ん中にある。外国での地図は日本の位置は本当に言葉どおり「極東」にある。ところが日本人が見慣れた世界地図は日本が世界の「中心」、外国の人が見慣れている日本は世界の「端」、お互いの意識が底流で擦れ違うのもこんなところにあることも見過ごせない。四国と本州を結んだ本四連絡架橋も四国の人たちにとっては本州と陸続きで一体になる悲願の大プロジェクトの橋だった。それでも物流は一体になっても意識はなかなか変わらない。日本地図を見ると四国はいつも本州の下にある。地図の上では本州に従属した地図を小さい時から四国の人は見続けている。壁に貼った日本地図をさかさまに、「裏返し」に張ってみれば四国が上になる。「地図ひとつで四国人の意識が変わっていく」とは四国に住んだ事のある後輩の面白い発想だった。

 誰が決めたか、建築の地図、平面図。学校で教わっても設計事務所で教わっても図面の上が「北」。もちろん方位を図面に書き落としても手前が「南」で紙の上が「北」である。日本地図もいつも上が「北」だから簡単に「裏返しの地図」を壁に張るわけにはいかない。図面も地図も誰が見ても分かりやすい約束事として「北」が上。ともに基本が間取りと均等平面格子の延長上の説明図。「南」が中心の間取りから抜け切れないし、今の地図から読み取る情報は無機的な距離感と事実だけかも知れない。デフォルメされた有機的な地図は見ていて楽しい、見慣れた日本地図の配置も積み重ねられて記憶されていくとそのことが当たり前の感覚が培われていく。そもそも建築の平面図はそこで生活する人のかたちをつくっていくものだから、いつも図面の上が「北」で手前が「南」の考えから離れて、図面はぐるぐる回しながら設計に取り掛かるのも面白い。「北」の鋭い光も冷たい風もいい、「西」日の黄色い光も良ければ「東」から昇る朝陽の光も勿論いい、陽が昇って暮れていく24時間が人間を中心にした生活である。常識と思っていた約束事も「裏返し」て見てみると別の隠れていた世界が拡がってくる。

                                          (青柳 剛)


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