□ 国のかたち                                                    平成15年5月28日


 アジアの顔、いや世界に誇れる都市の顔をつくっていく。東京駅周辺が街区全体を考えた「総合設計」を取り入れながらどんどん変わっていく。茶色い「東京海上」の本社ビルが皇居を見下ろすからと言って景観論争になったのもほんとに嘘のような過去の話。「丸ビル」を始め、周辺に建つ超高層ビル群の間ですっかり影が薄くなってしまった。人が関わる建築をつくって行く訳だから建築家、都市計画家は「国のかたち」をつくっていく。小さな家具、住まい方から始まって巨大な建築に関わっていくのはデベロッパー、行政の関係者も含めた建築関係者。生活のかたち、街づくり、そして「国のかたち」をつくっていく。それでも建築関係者がつくっていく「国のかたち」はすぐに目に見えるかたちで現れてくるから自分達だけで「国のかたち」が出来ると思い込んでしまう。

 「国のかたち」を考えていかないと「税」のことは語れない。厳しい時代が続くと国民の目はそれまで無頓着であった税に目が向く。おそらく1985年より前までは税のことは殆ど見えないうちにいつの間にか旧大蔵省主導で語られてきた。最近は税のことがマスコミに取り上げられない日はないぐらいの国民の関心事である。ところが目先の税がどうなったか、どうしていったらいいかだけを見ていると勘違いしてしまう。常に将来の「国のかたち」、全体像を考えた中で税制は論議されていく。例えば法人税率を引き下げても苦境にあえぐ業種の業界にとってはたいした意味がない。こんな不況の中でもがんばって利益を出している業種の企業にとっては益々ビジネスチャンス。どんどん設備投資の意欲は湧いてくるし、研究開発費に目が向いていく。そしてグローバル化、世界を相手にした企業間競争の税の面でのハンデイが日本の企業からなくなっていく。別の見方をすれば自分で努力した企業がその分報われ、そうでない企業は置いていくという「競争の時代」の裏返し。税率が高いか低いかを見るだけでなく将来を、「国のかたち」を見据えた税制のあり方が問いかけられている。

 「国のかたち」を考えていかないと「法」のことは語れない。法は常識のこと、時代の変化と共に変わっていく。社会全体の常識が変わっていけば法も変わっていく。凶悪な少年犯罪が増えていけば少年法自体も変わっていく。IT社会の到来と共にセキュリテーを基本に据えた新たな法整備の必要に迫られる。簡単にダウンロードできて、レンタルショップから借りてきた音楽もコピーできる時代だから著作権法に目が向く。昔なら片思いで済んでいたのが今の社会ではストーカーにまでなってしまう。地震や災害が起きるたびに建築基準法も変わってきたし、技術と一体になった「総合設計」の中で31mの建築の高さ制限も取り払われてきた。JR東京駅が近隣に容積を売却したから受け皿となった超高層ビルが東京駅周辺に林立して建つ。昨年は公共工事発注のアカウンタビリテー、施工段階の透明性のもとに入札契約適正化法が施行された。法は社会の常識と共に変わっていく。日本が世界の中でどんな役割を果たしていかなければならないかを考えれば今の日本の法整備だけでは無理が生じてくる。世界の中で「国のかたち」を考えた法整備、イラク戦争後の日本の「国のかたち」を考えた論議も慎重に繰り返さざるをえない。

 目に見えるかたちで「国のかたち」をつくっていく事が出来るのが建築家、都市計画家。もちろん人の住まい方、あり方を論じていくから自ずから幅は深まりながら拡がっていく。東京駅周辺も世界に誇れそうな都市の顔になりつつある。いろんな分野の人たちがそれぞれ「国のかたち」を考えた上で日本のあり方を支えている。税の不均衡を考えた上での真の意味での平等のあり方、経済活性化を考えた上での今後を見据えた税制、そして安全と安心の社会生活の齟齬が生じてくるから法整備も変わってくる。外国人はどんどん入ってくるようになったし、クローンまで出てきた。芸術の分野でも人間生活を先鋭化されたかたち、文章、映像、音楽、彫刻、アートの世界で表現することから問いかけてくるリアリテイは現実を超えた力を持つ。いろんな分野の人たちがそれぞれの分野でいつも新鮮な考えで将来を見据えた理念、「国のかたち」を考えていく、そしてまとまった「国のかたち」が出来あがっていく。

                                          (青柳 剛)


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