□ モラルと倫理                                                  平成15年6月13日


 最近身近になった野菜の無人直売所。取れたての野菜を置いて、欲しい人が買った分だけ空き缶にお金を入れていく。無人だから買ってくれる人との信頼関係だけで成立するほんとに日本的な売買の方法。それでも売れた野菜の量と金額は殆ど合わない。コインロッカー方式の野菜無人販売機まで出てきた。大手スーパーが昨年、食肉の不当表示の結果現金化をと言ったら買ったはずもない人、とんでもない数の人が集まって来て収拾が付かなくなってしまった。信頼関係が希薄になった社会になったと言ってしまえばそれまでだが寂しいものはある。モラルは道徳、倫理のこと。そしてモラルと倫理、現実の使われ方は異なった使われ方をする。「店先のりんご」と「公務員倫理法」、裏側から見た別の見方がある。

 無人の野菜直売所でお金を払わないのはもちろん日本では非難されるモラル。ところが地域によってはまったく違ったモラルとなる。有名な話「店先のりんご」、南米のペルーならぜんぜん違う。果物屋の店先には店番をしているおばあさんとかの姿を良く見かける。果物を取られないように店番をしているのである。店番が当たり前だから誰も居ないときには「店先のりんご」は黙って取って食べてもいいのである。日本の店先には誰も居ない、きっとペルーの人にとっては日本の「店先のりんご」は自由に取って食べてもいいというモラルになる。無人の野菜直売所はペルーの人にとっては恐らく全く理解できない無人直売所。モラルは地域によっても異なるし、時の移り変わりと共に徐々に変化して行くものなのかも知れない。

 公務員の数々の不祥事が発生して国家公務員倫理法が制定された。あらためて公務員の倫理を規定する制度である。利害関係者との接触の仕方が中心、昼飯はいくらぐらいまでなら認められる、夕食は立食なら参加してもいいとか規定されている。マニュアルが出来たからその通りにすれば簡単。それでも対応が難しいのが国立大学の教官。国立大学の先生にとって一番の利害関係者は自分の大学の学生。単位を与えたり、論文審査、学位を認定する利害がある。学位論文作成までの間は研究室の先生は一緒になって研究する共同研究者。酒を飲んだり食事を一緒にしたりしなければ共同研究は進まない。公務員倫理法を厳格に踏襲していたらほんとに何も出来ない。技術の進歩は望めない。どんどん酒を飲みながら共同研究を進めていくのが大事、せいぜい論文を提出した後、利害関係者としての学生との接触を持たないぐらいの倫理で対処するしかない。

 モラルと倫理は辞書を引けばどちらも同じように書いてあるが、現実はどうも違った使われ方をする。江戸時代なら男女の仲で敵討ちまで許されていた。それどころか武士だけが武器としての刀まで持つことが許されていたモラルの時代だった。モラルは時代と地域によって変わっていく、人間が、企業が行動していく際の行動の善悪の基準、未来永劫不変ではない。その点倫理は真理を求めること、不変である。企業の不祥事の時の対応のまずさはいつも話題になってきた。企業のモラルと倫理が問われている。失敗をしたり不祥事を起こしたりしたとき隠すからますますおかしくなる。弁解に弁解を重ねるからますます深みにはまっていく。複雑な重層構造の設計、建設業界。プロセスがブラックボックス、不透明だった。隠すことはマイナス効果、自らすすんで説明していく、受発注から始まって施工プロセスまで情報公開をいかに出来るかが倫理を踏まえた今の時代のモラル、一流の産業へと踏み出し始めている動きである。

                                          (青柳 剛)

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