「森の声」を離れた一週間                                          平成15年8月18日


 「森の声」を離れた一週間日記。一週間殆ど机に座ることがなかった。もちろんパソコンにも触れることはなかった。「森の声」一週飛ばしてしまった。殆ど出かけていたのである。それも休みを取った訳でもなくひたすら仕事の延長としての一週間だった。日曜の昼近くの新幹線で出かけて島根までが最初の3日間。4人で一緒だからかなり疲れそう、酒も少しは飲むから体調は整えておかなければならない。出かける前にエアロバイクでみっちり汗をかくことから一週間が始まった。カロリーオーバーになりがちなのが外食の繰り返し、気休めかもしれないがどこかに出かける前にはいつも有酸素運動だけは欠かさない。少しは不安感が消えていく。

 羽田から着いた先の空港が出雲空港。日差しはかなりきつい。4人とも距離の把握をしてこなかったのがまずい。タクシーに乗ろうと思って聞かされたのがとんでもない料金、行きたいところまでの距離は数十キロ、良く考えてみれば当たり前。何にも考えずに北海道の千歳空港から富良野までタクシーを頼んだ苦い思い出が頭の中をよぎる。いくら何人かで乗合わせでも、メーターがどんどん上がっていく辛さはどうにもならなかった。結局は出雲空港の案内所で教えてもらったレンタカー、翌日まで使って1万円を切る選択は正しかった。山陰地方、レンタカーはマツダのファミリア、懐かしい。自分の金でローンを組んで始めて買ったのがモデルチェンジしたての丸い形のファミリアだった。1300CCだから純正のクーラーも付いてなくて無理して付けたら坂道を登らない、それでもフランス映画に出てくる小回りの効く小さな丸いクーペタイプの雰囲気と結びついて楽しく乗っていた。

 あのときのファミリアと違って、30年近くも経ったら四角いセダンのファミリアだ。レンタカー、文句は言えない、2千キロしか走っていない新車、かなり運転はしやすい。4人の中でいちばん若い、2日間レンタカーの運転手兼ガイドだ。ナビ付き、行くところさえ決めれば後は楽。最初に着いたところはもちろん出雲の出雲大社。日本の柱建築の原点、神社は荘厳な雰囲気があっても気になるのは菊竹清訓設計の出雲大社「庁の舎」。出雲の田園風景の「稲掛け」からデザインのかたちを決めた60年代の日本建築の代表作品。当時にしては珍しいプレストレストコンクリート造。西欧技術と「稲掛け」の組み合わせ、日本建築の伝統論争の中心に居続けた建築であったことは確かである。木造ドームの出雲ドームに立ち寄り後は宿泊地の玉造温泉まで、宍道湖沿いにひたすら走り続ける。

 非日常的な体験を味わうのが観光地、今では団体の観光客の姿はめっきり少なくなった。特に法人関係の団体旅行に出くわすことは殆どない。リタイアした夫婦、熟年の元気な女性たちが申し込んだ旅行者のグループが殆どだ。観光地で宴会と言うスタイルも様変わりした。なかなか抜けきれないのが宴会の雰囲気、お膳一面豪華に並んだ宴会料理の演出にエネルギーが注がれてきた。いきおい朝食は朝早くでかけるためだけの間に合わせの感覚がなかなか抜けない。非日常体験を味わうのに朝食は大事。日常の生活ではいつも朝食はとりあえずの間に合わせ、観光地に行ったときぐらいゆっくりのんびり朝食を味わいたい。のんびりした朝食にいかに手間暇かけているかが大事、非日常体験は朝食からじっくり味わうことが出来る。

 朝食食べてのんびりコーヒー飲んで出かけた先が松江城、天守閣から眺める松江の市街地、吹き抜ける風が気持ちいい。そう言えば何年か前にもこの地は訪れている。かなりの量の建築作品を見て廻ったことが思い出されてくる。菊竹清訓の島根の博物館を始めとした一連の作品、それと自分と同世代の高松伸がかなりの数、当時のアントレプレナーとしての作品をつくっていた。ここまで来たんだから境港の高松の作品も確認しておかなければならない。牡丹と高麗人参の大根島を突き抜けて隣の県の境港、「水木しげるロード」は夏休みで子供が溢れている。相変わらず「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラクターのレプリカは盗まれているらしい。盛岡の宮沢賢治の像にペンキをかけられたニュースも山形のさくらんぼのニュースも辛いものがある。こんな類の話題はいつも世界中事欠かない。高松伸の境港の作品を横目で見ながら足立美術館、魯山人のコーナーを再確認しておく。

 一番前の席で参加したのが今回の目的の全国大会研修会。島根の行政のトップから殆ど関係者全員出席、大会の熱の入れようは伝わってくる。立食の懇親会も簡単に済ませて宍道湖のほとりで前の晩に準備しておいた4人だけの夕食会場、夕べの観光地とは違う。丁寧な料理が出てきた。慌しく大した準備もしないで出てきてしまった今回の島根、髪をとかす櫛ぐらいどこか泊まるホテルにあると思って出てきたのにどこにもない、独り言を言っていたら女将がすぐに気が付いた。櫛を持ってきてくれた心遣いがうれしい、さすが城下町松江の一流料亭。宍道湖に映える夕陽を見ながらの夕食会は忘れられない思い出、又、来たくなってしまう。翌朝、のんびりした朝食、仕上げはやはり菊竹清訓の平成12年に出来た島根県立美術館、建築全体にメタリックな軽快な曲線を使って宍道湖を上手に取り込んである。伝統論争のまっただ中にいた出雲大社の重い「庁の舎」との距離はいつか測らなければならない。

 出雲空港を飛び立って新幹線に乗り継いで帰ってきたのが夕方5時過ぎ、暑い中3日間も風呂に入っていなかった年老いた母親を風呂に入れるのが帰宅最初の仕事。地元では夏祭りの最終日。もう何年も続いている夏祭り恒例の夕食会に出なくてはならない。慌しく風呂に入れて6時の開会に何とか間に合った。激しく夕方から雨が降っていたのが祭りの終わり頃には雨も上がり、無事今年の夏祭りも終わった。翌日は早朝近隣清掃を済ませて、朝の9時から会議打ち合わせ3件立て続け、午後は「感性の時代」の本屋と打ち合わせ、会社に戻って住宅部門の新しい企画の打ち合わせ、島根の頭を切り替えるのがなかなか難しい。翌日も前橋3件で用件をこなし午後から六本木ヒルズの勉強会、コンビニエンスストアの若い社長の話を聞いて感心しながら夕飯は最終の新幹線で駅弁。一週間の終わりも又東京、受注した工事の挨拶回り、その後2軒汗だくになって廻り、六本木ヒルズにたどり着く。絶え間なくクレーム続きのメールが入る。楽しいのんびりした後に続く悪いこととはこんなもの。非日常の後の日常はこんなもの。祭りの後もこんなもの。2日続きの勉強会。2日続きの駅弁。長いようでもあり短くも感じた「森の声」を離れた一週間がようやく終わった。冷夏の中でも一番夏らしい一週間の暑い夏だった。たまった雑誌と新聞を読み返しながら、有酸素運動、エアロバイクをこいでいる。又、次の一週間へとペダルをこぎだした。ふうっー。

                                          (青柳 剛)

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