顧客満足幻想                                                平成15年12月24日


 顧客満足経営は時代の流れ、いかに顧客のニーズにあった売り方、つくり方、サービスの仕方をしていくかが求められている。そして顧客のニーズがどこかにあるかと思うから勘違いする。忘れてならないのは顧客のニーズは自分自身の中にあるという事。顧客が満足するかどうか目に見えないものを探そうと考えるから訳が分からなくなる。自分自身が満足できていなければ顧客にとっても満足できている筈がないと思えば答えは見えてくる。顧客満足と自分の満足が同じか相似なのである。どこかにある筈の顧客満足は行き着く先のない幻想となって消えていく。

 もう長い期間、会社の廻りの掃除をやり続けてきた。経営者の自分が決めたんだから社員は朝の10分間だけ近隣清掃をやり続ける。朝の10分間は社員とも大きな声で会話が出来るし、季節の移り変わりに敏感にならざるを得ない。新緑の頃のすがすがしい気持ちと空気は新鮮だし、夏の暑さの10分間は心地よい汗を誘ってくれる。秋になれば木の葉はどんどん落ちてきてとんでもないことになり、大騒ぎをしながら片付けることになる。これからは雪かきまでしなければならない。自分たちで大地を綺麗にしていく優しい気持ちは朝の10分間の近隣清掃で確実に培われていく。通りすがりの人に声をかけられれば気持ちは一気に高まっていく。たまに近所の人の差し入れのジュースは何にも変えがたい気持ちのこもった差し入れ。まず、自分が満足することから目に見えなかった顧客満足の尺度が見えてくる。

 自分がかけたエネルギーのポテンシャルが深ければ深いだけ相手に伝わる密度は濃厚になる。聞き手の反応が鈍いのは自分のかけたエネルギーのポテンシャルがそれだけ浅いから鈍くなる。今までこれは信念に近いものがあってずーっとやり続けてきた。教壇に立って学生に話しかけている時もそう、講演を頼まれたときもそう、手を抜いた時の語り口のときの反応は間違いなく鈍くなっていく。今日の話し相手はこんなものだからと勝手に決め込んで話しかければ間違いなく退屈な空気は漂っていく。勝手に相手を一括りにしてしまうことは自分自身を一括りにしてしまったということ。毎年同じノートの棒読みの繰り返し、そして聞いている学生が誰もいなくなるのは良く聞く話。顧客としての聴衆だって話し手が自分自身で満足し、納得する中身なら確実に反応する。相手が、顧客が、大衆がこんなもんだと決めてかかるから見えなくなってくる。

 「今の時代どんな家に住みたいか」っていくらアンケートをとって見たって始まらない。アンケートの結果はつまらない結果の平均値。そんなことを考えてマーケティングの結果を探すより自分がどんな家に住みたいかって考えてみることが先。自分が満足できなければ相手も満足できない。小さなことでも10分間の掃除をしながら味わう気持ちのよさは自分でやり続けなければ分からない。もちろんくわえタバコで歩く社員はいなくなったし会社の廻りにごみが散らかることもなくなった。後はそれぞれの持ち場を自分で綺麗にすること、顧客に優しい対応が出来れば最高だ。どこかにあると探し求める顧客満足は幻想、自分自身を限りなく高めていくこと、顧客満足と自分の満足は同じなのである。そう、要約すれば「大衆は自分自身、個に帰着する」と吉本隆明の「共同幻想論」は説いている。


                                          (青柳 剛)

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