先生                                                       平成16年2月6日


 本当に久しぶりに先生にお会いした。大学、学部時代も含めて大学院も先生の研究室だったからもう本当に長い間、先生の考え方、生き方に影響されてきた。先生の喜寿のお祝いを研究室のみんなでする案内をかなり前から貰っていても当日自分が主催する研修会と重なり出席できない。毎年開かれている研究室のOB会であっても今年は先生のお祝いをかねた特別の会。いつものように簡単に欠席というわけには行かない。出席できない旨をきちんと先生に事前にお伝えしておくのが礼儀、欠席理由をきちんと伝えておかなければならない。久しぶりに下落合の先生のご自宅に訪問した。

 それほど成績が良くなくてぎりぎりの成績でも先生は私を研究室の学生として取ってくれた。試験を受けることなく推薦入学の形でとってくれたのである。図面はそれなりに優秀でも普通の学科の成績は大学院に入るのには推薦入学すれすれのところだった。先生は先生自身にないものを私に感じ取ったのかも知れない。紅茶でケーキを食べながら品のある会話を交わしていくスタイルが先生の生き方だった。粗野で一気に力で押し切っていくような私の性格は先生の生き方の尺度にはきっとなかったのである。先生の尺度から遠そうな、差異のある学生を研究室生として取ってくれたと今でも思っている。小さなことから丁寧にコツコツとそれでいてシャープな作品をつくりあげていくのが基本的な先生の設計の作法。出来上がった作品は、先生の人柄そのもの、洗練された品のある作品となって評価されている。

 「僕の人生で建築作品は決して多いほうではない。作品の数は少なくても、それでもどれもあれやこれや一生懸命考えて設計した作品ばかりだよ。それなりに社会的な評価も受けた。特に岩手三陸の中学校もおかげさまで建築学会賞までとることが出来た。しかしそれももう出来上がって30年にもなる。建物のあちこちが傷んでどうしようもなくなりつつあるんだよ。年中修理をしなくてはならない。修理で済んでいるうちはいい。あと十年もすれば修理ですまなくなる。学会賞を取った建築作品でもいつの間にか取り壊されていく運命になってしまうかも知れない」。久しぶりにミルクティーを飲みながら先生の言葉に耳を傾けた。新幹線もない時代に先生は殆ど毎週金曜日の夜上野を経って夜行列車で岩手三陸の奥まで現場に通っていたこと、当時、先生がこの中学校建築に込めた思い入れの強さが思い出されてくる。

 「少ない建築作品の数で丁寧につくってきて、それなりに評価されてきても取り壊されてしまう時期は必ずやってくる。どんな建築作品でもいつか消えていってしまう。消えていかないものは何かと最近つくづく考えると、それは君たちのような人達とふれあいをもつ事ができた事、いろんな分野でそれぞれ活躍している人をつくったこと、教えた機会をもったこと。これはいつまで経っても決して消えていかない」。短い時間だったけれども、昔のように先生から教わる話の中身は貴重だった。別れ際、「夕飯だと、君、大袈裟になるよね、昼御飯でも食べながら今度ゆっくり話をしよう」。先生から教えて貰う生き方、考え方が、まだまだ増えていく。


                                          (青柳 剛)

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