土地への希薄性と執着性                                          平成16年2月20日


 バブル経済を建築のデザインの面から見てみると面白い。バブルは一言で言えば土地のこと。土地を貨幣に置き換えすぎた事から始まり終焉した。一時期は日本の土地はどんどん値上がりし、日本の国土を売り払えばアメリカの土地面積の7倍も買えると言われるほどの貨幣価値にまでなった。確かに異常だった。いきおい、土地、建築用語で言えば「場所の観念」が見事に消えていってしまった。場所の成り立ち、記憶、歴史、そして都市の文脈が脇に押しやられてしまったのである。こんな事が続くはずがないと思っていたらあっという間にバブルは弾けてしまった。高い貨幣価値として土地を置き換える事によって失われたものは多い。意味性のある土地への観念が希薄になった現象だと言っても言い過ぎではない。

 泡だから建築のデザインもつくっては壊すのがバブル期の建築。スクラップアンドビルドを何の抵抗感もなく繰り返した。この感覚だけはバブルが弾けた後もしばらく続いたから都市の風景は見事に変わってしまった。今月号の雑誌「東京人」3月号を見ていると、残しておかなければならない建築が、風景が、大した検証もされずに消えてしまっている。ようやくそれも、厳しい経済状況を反映することによって、この数年、建築のコンバージョンの考えが定着してきた。既存の建築を先ず残す事を考える動きである。そしてバブル期のもうひとつの建築デザインの特徴は都市の中で目立とうとするデザイン、他の建築との差異を表現する建築デザインが凌駕した。金に糸目をつけない派手さが売り物だから、金属あり、石あり、様式あり、曲面あり、要するにデザインのエレメントの足し算に終始した。貨幣価値に置き換えられた土地の上に建つバブル期の建築デザインは、「場所の観念」が見事に希薄性を持って消えていったのである。

 土地というか大地から建築全体を浮き上がらせ、4枚のコンクリートの壁でワンルームの居住空間を支えた建築家菊竹清訓の「スカイハウス」はその名の通り、1957年の衝撃的な作品だった。近代を核家族化のかたちとしての住まい方を表現した住宅だった。住宅が時間とともに変化していく、新陳代謝を繰り返していく、伝統論争の延長上にあった「メタボリズム」の概念を建築そのもので表現した形であったことの評価は高い。実際、持ち上げられた居住空間から吊り下げられた「ムーブネット」としての個室が時間とともに増殖変化を繰り返した。一方、大地から居住空間を持ち上がらせた建築家菊竹清訓の手法が土地への執着性、こだわりへのアンチテーゼであったことは、「メタボリズム」の概念にかき消され、語られることは少ない。九州久留米に広大な土地を持った家に生まれた建築家菊竹清訓が体験したのが戦後の農地解放、原体験としての土地への強い執着性の裏返しとしてピロティ建築の「スカイハウス」がデザインされた事は殆ど語られる事はない。社会制度そのものへの建築家菊竹清訓の強烈な異議申し立てだったのである。

 地方都市の中心市街地活性化の動きが叫ばれても一向に中心市街地の空洞化は解消されてこない。まさかバブル期のような地上げ屋はもうやってこないが周縁に大型店が進出していったのも中心市街地の空洞化に拍車をかけていった。突き詰めて考えれば中心市街地としての土地への希薄性のあらわれ、中心市街地に異質な建築を持ち込もうと経済の論理だけで夢見るのも同じ事、歴史が、記憶が、希薄性を持って消えていく。バブルがはじけて10年以上経ってようやく土地への執着性の目が向けられる時代になってきた。簡単にスクラップアンドビルドではたまらない。右肩上がりの貨幣として土地を見る時代はもうやってこない。土地への執着性、場所の成り立ち、記憶、そして都市の文脈のあり方に正面から向き合う時代がやってきた。


                                          (青柳 剛)

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