けち                                                      平成16年2月25日


 いくらイケメンでも駄目。どんな美女美男の組み合わせでも駄目になるときは駄目になる。お互いにマメでなければ必ず別れはやってくる。外見がどんなに恰好良くても、ましてや着飾っていてもいつかは色褪せてくる。なんであの2人が、と思える見た目の不釣合いの組み合わせでもきっと他人には分からない良さがある。傍から見ていて分からない良さは、お互いにマメなのである。もう少し言えばお互いに常に「与えるもの」が多いと言う事、どちらも常に相手に何かを与えている。バレンタインのチョコレート、誕生日の赤いバラなどは決まりきったうわべだけの「与えるもの」。相手の事をいつも考えながら「こころ」を与えることが大事、そして一方通行の期待ばかりするからイケメンでも別れはやってくる。男女の別れは「こころ」の「けち」からやってくる。

 「おたがいのためだから、きっちりと復習して、はっきりさせておいたほうがいい。僕がきみと離婚する理由は、きみがけちだからだ。ものの考えかたや、ものごとのとらえかたのなかに、けちがしみついている。治る見込みはない。これ以上、ふたりで生活を続けても、無駄だ。なんら得るところはない。今のきみの言葉なんか、けちの見本だ。無理してつきあってくれなくてもいいとは、いったいどういうけちな気持ちから出てくる言葉なんだ。僕たちの離婚を、僕たちはまだきみの両親には伝えていない。すくなくとも今日は伝えない。久しぶりにいっしょに夕食を食べる約束をして、店の予約もした。だから僕はその約束を守る。無理してつきあってあげるという、というようなことでは絶対にないんだ」・・・(省略)「きみはなにもわかっていない。きみはテイカーだ。テイクする人。テイクだけする人。ギブ・アンド・テイクと言うけれど、テイクだけは当然のことのようにいくらでもするけれど、ギブはないんだよ。根っからのけちだ。克服は難しい」(「離婚して最初の日曜日」 片岡義男著)

 優しい対応といっても別に言葉使いが、立ち居振る舞いが優しい事を言っているのではない。いつも相手の立場に立った対応、行動が出来ているかが優しさの尺度になってくる。改めて、今までに住宅1000棟売った今話題のトップセールスマンとか、先週の「森の声」の美容室の事を考えてみると考えさせられることが多い。いかにお客の事をいつも考えて行動しているか、いかに相手に「与えるもの」が多いかすぐに分かる。トップセールスマンは決して話し方が上手と言うわけではない。携帯電話が、今みたいに普及する前からショルダー型の電話を持ち歩きどこからでもすぐにお客と連絡が取れ、休みの日に自分の家族と出かけるときでさえ、いつも背広にネクタイでお客のところにどこからでも飛んでいける準備をとっていた。住宅に関する情報が新聞に載っていれば切抜きを持っていく。お客の事をいつも考えながら繋がりをなくさない。美容室の顧客管理票もお客の事を忘れない、次にやってきたときの対応の良さに繋がっていく。いつもお客の立場に立った優しい対応が出来ているのである。

 「こころ」がひかれあった男女の仲だって「けち」なら冷めていく。ましてや仕事のつながりは「けち」ならどうしようもない。お客とのお金の繋がりだけの関係はほんの一時期のつながり、あっという間に冷めていく。企業に求められている地域貢献の在り方でさえものの貢献だけでは底が見えてくる。ものとお金の手軽な地域貢献ではどうせ利益が出ているからぐらいにしか思われない。自分の手でする地道な活動を長続きしなければならない。ものをつくって、つくったものを売って利益を得ていくのはビジネスの世界では当たり前のこと、当たり前の気持ちがむき出しになってくるからうまくいかなくなってしまう。こんな事まで自分たちのことを考えていてくれるんだ、そこまでやってくれているんだとお客の「こころ」を繋ぎとめる事が出来続ければビジネスとして成功する。小さなことの積み重ね、いかに相手に「与えるもの」が多く継続していられるかにかかっている。「損」をすればするほど「得」をする。右肩下がり、「けち」でも良い時代は終わったのである。


                                          (青柳 剛)

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