贅沢な下駄の音                                               平成16年7月26日



 カランコロン、「街を歩けば下駄も鳴子」・・・。基本にかえる、忘れていた原点に戻ると言う動きかもしれない。今月初旬の日本経済新聞の温泉復活の記事、宮城県鳴子温泉郷復活にかけた仕掛け人の話は面白いし身の回りの事にも置き換えることが出来る。仕掛け人は自分の縁戚の41歳の若手経営者だから親近感のある身近な話題として資料ファイルに早速綴じ込んだ。バブルが弾けて以来どこの温泉地も景気の動向に左右されてきた。団体客が沸いてくるときはどの温泉地も大して考えることもなくのんびりと横並びで経営をすることが出来る。景気の冷え込みと共に団体客も潮が引くように消えていって何をして言いか分からなくなり、厳しい状態に落ち込んだ温泉地の話は数え上げればきりがない。そもそも温泉の原点は癒し、「湯治」こそが原点。「湯治」に回帰、温泉力を正面から見つめ直せばお客は必ず帰ってくる。着実に元気が出てきた鳴子温泉の仕掛けの話である。

 カランコロン、「街を歩けば下駄も鳴子」・・・。のんびりしたい1週間、何も考えたくない、何もしない1週間を過ごしに10年程前に訪れたのが日本経済新聞の仕掛け人の旅館。ほんとにのんびりさせて貰った。朝昼晩と温泉旅館で食事を取り、空いた時間は本を読むか散歩、そして時間を見つけては温泉に浸かる。何種類もの温泉があるから飽きる事はない。その頃だから携帯電話を持っている人も数少なかったし、電波の届かない圏外だから余計な雑音が入ってこない事もじっくりのんびり感を味わうには最高だった。何にもないことの素晴らしさをこのとき初めて味わった。それにしてもこの頃から工夫した温泉の味わい方をこの旅館は考えていた。今ではどこに行っても当たり前かもしれないが到着するとすぐに車に乗せて連れて行ってくれたのが山の中の45分間の貸切露天風呂、誰もいない山の中で蝉の声を聞きながら一人ではいる掛け流しの露天風呂には感動した。今になって考えてみれば豊富な温泉に正面から向き合ったサービスのはしりだった。

 カランコロン、「街を歩けば下駄も鳴子」・・・。温泉、特に鳴子温泉の原点は「湯治」。自炊で長期滞在して療養効果を高める。ちょっとした旅館なら一般客と別棟の湯治客専用の棟がある。頭打ちはもちろん、減りだした温泉客を繋ぎ止め、そして少しずつでも増やしていくにはいろんな知恵を出さなくてはならない。すぐに浮かぶのが設備投資、施設を新しくすればお客が明日にでも沸いてくるような気になってくる。リスクを背負った余分な設備投資はかけられない。施設に頼り過ぎてきたのが右肩上がりの時代、右肩下がりの厳しい時代は後戻りが出来ないからお客の心を繋ぎとめる本質に目が向いていく。鳴子温泉の仕掛けは古臭いと思われていた温泉力の「湯治」にまっすぐ目を向けた。町内の病院と提携した「温泉療養プラン」を打ち出したり、「湯治」をしながらいろんなイベントに参加する、こもるだけでない現代版ミニ「湯治」の姿を演出し続けだした。恵まれた豊富な温泉力と観光資源に改めて的を絞り込んだ体験型の仕掛けである。

 カランコロン、「街を歩けば下駄も鳴子」・・・。日帰り温泉客にはレンタルの下駄履きで温泉街を散策できる。全室離れ、各部屋には個別の露天風呂付きの高級感のある温泉旅館もひとつの生き方、少なくなったといっても無くなってしまう訳でもない団体客に徹底的に的を絞り続け元気がある福島の温泉旅館の例もある。工夫して考え、仕掛けをし続けている温泉地は生き残って業績を伸ばしている。一度しか泊まった事がなくても感じの良かった旅館こそ、その後のダイレクトメールがきちんとマメに来る。鳴子の温泉力に正面から向き合った仕掛け人の旅館も決して大きな規模ではない。それでもホームページひとつをとっても工夫の度合いの高さが読みとれる。少し見なければあっという間に数十万人の人がアクセスしている。お客が何を求めているか、お客の視点をいつも意識した工夫が凝らされているからいろんな知恵が生まれてくる。今年の夏は、とりわけ暑い。久しぶりに何もしない一週間を求めて「湯治」にでも行ってみようかって気分にもなってきた。カランコロン、カランコロン、「街を歩けば下駄も鳴子」、何もしないことの贅沢な音が聞こえてきそうな気がする。(旅館大沼 http://www.ohnuma.co.jp

                                          (青柳 剛)

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