ガラス細工のような日常                                           平成18年1月27日


 「積み木くずし」と言うドラマの人気があったのはもう何年も前のこと、平穏に思い描いていた筈の日常がガラガラと音を立てて崩れていく程でもなく、簡単に日常は壊れていく。ガラス細工の日常は音を立てる事もなく簡単にひび割れていってしまう。そして誰も穏やかな日常がガラス細工ぐらいにもろいものだとは思ってもいない。きっと誰もが一ヵ月先の日常ぐらいは計画どおりに予測できる範囲内に淡々と穏やかに過ぎていくものだという事を疑わない。ちょっとした疵が生まれた途端にガラス細工の日常は壊れ出す。ガラスはあっという間にひび割れ使い物にならなくなってしまう。日常とはそんなもの、そんなものが日常だと思わないから誰でも明日の事を悩まずに生きていく事が出来る。ガラガラと音を立てる「積み木くずし」のほどでもなく、音を立てることもなくいともたやすく崩れていく事の繰り返しが日常である。

 クリスマスイブが終わった翌日曜日、90歳を越えた老親の朝食の仕度も終わってその後老親の相手をつつがなく済ませれば今日一日が無事に終わる。夕方早めに風呂に入れて寝かせつければ明日は今年最後の締めくくりの月曜が始まる。そんな事を考えながらビスケットをやったりチョコレートを食べさせたりしながら女子の高校駅伝を二人でのんびり見ていた、いつものように繰り返される日曜日だった。ところが、トイレに立つ母の足元がおかしい。何度も転ぶ。3メートル50センチの距離を三度も転ぶ。「あれっ」と思っていたらさっきまであんなに元気だったのにもう起き上がれない。慌てて布団を敷いても真っ直ぐに寝ていられない。言葉も何を言っているのかさっぱり分らなくなってしまった。穏やかな筈の年末の日曜と思っていた気持ちとの落差はあまりにも大きい。

 取るものもとりあえず両手に母を抱えながら担ぎ込んだ病院は脳神経外科病院、動けなくなったんだからとっさに脳の病気と疑う判断は間違えていない。病院に着くなり、さっきまでの元気はどこへ行ったのやら母は車椅子の上で完全に病人になってしまった。血圧から始まって脳の検査まで、一通りの検査が終わって診察室に呼ばれて言われた診断結果が軽い「脳梗塞」、一気に頭の中が真っ白になる。それでも、今後の介護の仕方が中途半端な介護では終わらないと言うことだけが落ち着かせた頭の中を駆け巡りだす。入院をするなら付き添い、結局、点滴まみれになった母を看ながら寝たような寝ないような長い夜が過ぎていく。母の不規則ないびきが病室に響き、いつのまにか窓の外は冷たそうな雪がしんしんと音もなく降っている。穏やかそうな日曜は、変わりやすい雪空のようにあっという間に崩れてしまった。

 翌朝の早朝月曜会議はもちろん、一年間お世話になった人達への年末の挨拶回りも全てキャンセル、病室を抜け出して2、3時間の用事を済ませることが精一杯の日々を送り出した。年末の締めくくりの大掃除をして、その後墓参りをしながら松飾りを買って飾りつけ、年賀状を書いて最後にあいた一日を使ってゆっくりと「銀座の理髪店」、正月ものんびり出きそうだからだから久しぶりに国立競技場で最強の早稲田のラグビー観戦・・・・・・後は1年の仕上げの汗を流しながらの筋トレと思い描いていたことが全て消えていってしまう。平穏に続く筈の一週間先の日常があっというまに壊れていく。穏やかそうな暮れと正月に期待していた落差はあまりにも大きい。ひびわれ使い物にならなくなってしまう日常が隣りあわせだと言う事に気づかない、そして、穏やかそうなガラス細工の日常がいつものように繰り返されていく。


                                          (青柳 剛)

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