敵と似たものとなるな                                            平成18年2月22日


 去年の夏頃からテレビをよく見るようになった。それまでは、ニュースの出だしぐらいしか殆ど見なかったのに今は良く見ている。ハラハラしながら見ていた郵政国会、その後に続く郵政解散と演出された劇場型の衆議院選挙になったから面白い、毎日がテレビの前に釘付けになったのである。新聞のスピードでさえ付いていけない。臨場感溢れるテレビならではの効果だった。結果は、国民誰もが劇場に参加したような気分になったから歴史的な自民党圧勝に終わったが、それ以来テレビを見る習慣が引き続いている。日曜日は、「サンデープロジェクト」と「サンデージャポン」を行ったり来たりして見ているし、月曜の夜は「テレビタックル」を見ることを欠かさない。田原総一郎とテリー伊藤に浜田幸一と三宅久之、煽るような切り込み方、喋り口が視聴者の気持ちを惹き付ける。最近は番組のタイトルからして扇情的なみのもんたの「朝ズバッ」まで見ている。

 番組をリードしていく司会者であったり、コメンテーターであったり、その場限りのゲストであったりしても切り込み方、喋り口によって雰囲気は一気に変わってしまう。ゲストに煽りながら仕掛けていくような喋り口が「サンデープロジェクト」の田原総一郎だし、決めつけ調で断定していくのが「サンジャポ」のテリー伊藤、浜田幸一と三宅久之が大声を出してかぶせるように過去の経験と持論を展開していくのが「テレビタックル」、何が起きるか分らないような雰囲気になるから視聴者は惹きこまれる。もっと言えば、けんか腰のような討論番組になるから見ているほうは野次馬根性も手伝って面白い。CMが間に挟まらなければ行き付くところまで行ってしまいそうな勢いだ。いつまでたっても大声なんか出そうもない、シナリオ通りのNHKの討論番組なんか誰も見やしない。番組の雰囲気は誰かいつも仕掛けそうな出演者がいるとあっという間に変わってしまうのである。

 この辺の雰囲気を冷静に分析しているのが昨年の10月9日(日)、五百旗頭真(いおきべまこと)の毎日新聞の論文「敵と似たものとなるな」、幅広い角度から国際情勢を論じながら適確に言い当てている。「すぐけんか腰になる品の悪い人が1人でもいると、家族であれ職場であれ雰囲気全体が悪くなりがちである。悪者に食い荒らされないよう対抗上こちらも厳しく対抗する。怒鳴られれば、こちらも劣らず大声で応酬する。腕を振り上げれば、蹴りを入れる構えをする。この情景をたまたま通りがかった人が見れば、双方とも恐るべく荒くれであり、まるで内戦状態の社会と見える」。そして、「冷戦終結後の長期不況と相次ぐ危機のなかで日本人の心に自信と余裕が失われ怒りやすくなった。国際社会において粗暴な国(敵)に対抗してむきになって自らの輝きを見失ってはならない。北朝鮮と中国の粗暴に日本人は憤激し、それを言い立てて自らが『毅然』の名において応酬する心理劇にはまろうとしている、『敵と似たものとなるな』・・・・・」と締めくくっている。

 身近な会議でも、けんか腰の相手を言い負かそうとする人が1人でも居ると会議の雰囲気まですぐに悪くなってしまう。冷静な議論はたちまちどこかに飛んでいってしまう。黙ってしまう人が出てくるのは勿論だが、一緒になって興奮し出せば真っ当な議論には到底行き着かない。結局、後で考えればとんでもない結論になっていたりする。昨年の衆議院選挙も、落ち着いて考えてみれば劇場型の喧嘩になったから面白い。しかも対立の構図が明確になったから一層国民の関心が惹き付けられた。テレビを中心としたメディアがよりその効果を鮮明にした。結果は今まで選挙に行かなかった都市部の有権者にその色合いは一層濃かった。すぐそばで喧嘩を見ている臨場感がそうさせた。これを逆一区現象という。選挙も終わって半年もたてば喧嘩を見ていて、その上一票を投じて一緒に喧嘩に参加した人まであの高揚感はなんだったんだときっと引き始めている。まさか改革の旗印だった候補者が刑事事件に引っ掛かるとは誰も思っていなかったし、訳の分からないことを言う若者が国会議員に当選するなんて想像もしていなかった。みんな喧嘩の喧騒に巻き込まれていただけだった。そして、テレビの大声を出し合った討論番組も見終わった後に残るものといえば大声の浜田幸一の大きな顔、中身は半分も記憶に残らない。「敵と似たものとなるな」、気づいてみれば敵と似たものになりそうな自分がいつのまにかテレビの前にいる。



                                          (青柳 剛)

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