コンビニこそ差が出てくる                                            平成19年2月1日


 30歳近くまで住んでいた東京練馬の家は便利だった。眼の前に、その頃でも有名な価格の安いスーパーマーケットがあった。食料品から始まって衣料品、家電製品に至るまで何でも売っていた。日用雑貨、なんでも売っているからスーパーマーケットといえばその通りだが、安売りチラシでも入れば遠くからバスに乗って買い物にやってくるお客までいた。店の仕舞い際には掛け声と共に生鮮食料品は安値で売られ、飛ぶように売れていた。このマーケットを中心にして廻りにパン屋、肉屋、焼き鳥屋、クリーニング屋、団子屋、餃子屋まで毎年店が増え、ほんとに便利だった。夕方になれば屋台も出ていた。何でもあるから、その日その時に必要なものだけを買うだけでよかった。まとめ買いはいらない。眼の前に店があるから足りないものをすぐに買ってきて間に合う、極端に言えば自分の家に冷蔵庫とタンスは要らないほど便利だったのである。

 東京練馬の時のような状況とはなりそうもないが、家の眼の前の道反対にコンビニがオープンした。東京でも特別の立地に住んでいたといってしまえばそれまでかもしれないが、地方に住むとなかなか東京の練馬に住んでいたときのようにはならない。何でも売っているスーパーマーケットの数は人口に比例して限られてくる。限定された店まで車に乗って買いに行かなければならない。足りないものだけを買い足すなんてことにはならない。何日か分の日用品を買いだめするしかない。それが眼の前にコンビニがオープンしたから練馬に住んでいたあの時の気分が甦ってきたのである。ビールがなくても冷たいのがいつでも手に入る、清涼飲料水は飲みたいときだけ歩いて買いに行けばいい、読む本がなければ真夜中でも週刊誌ぐらいはすぐに手に入る、朝にはスポーツ新聞も読みたいときだけ手に入る・・・いろいろ考えるだけでも楽しくなってくるコンビニが眼の前に出来たのである。

 週のうち4−5日ウォーキングを繰り返しだしてから4年近く経つ。7−8キロ歩くから途中でコンビニに寄るのが習慣になってきた。距離にして半分を過ぎたあたりの下り坂にあるから丁度いい。決まって105円の黒酢を買って飲む。このコンビ二が面白い。年中寄っているから顔なじみになった気安さもあるが、店員の応対がいい。いつもきびきびしている。去年の秋口は全員で黄色い鉢巻をしていた。黄色い鉢巻には良く見るとそれぞれ違う言葉が書いてある。「やさしい対応を心がけます」、「お客様をお待たせしません」、「・・・」、それぞれの店員が自分の決意を黄色い鉢巻に書き込んでコミットしている。コンビニの廻りを昼間の空いた時間に商品チラシを持ってポスティングをしている姿を見かけるが、ゴミ袋を持ちながらポスティングをしている。近隣清掃をしながらのポスティングには感心させられる。

 同じものを同じ価格で同じような25坪の店構えで売っているコンビニでさえ差が出てくる。人口の少ない地方でのコンビニの入れ替えは激しい。そんな中にあっても、黄色い鉢巻をして、近隣清掃をしながらポスティングをしていたコンビニは立地が悪い。出入り口のすぐそばに信号がある、おまけに車線も増減している。地方のコンビニにとっては致命的な車の出入りがしにくい立地なのである。厳しい経営環境を売り方、サービスの仕方で乗り越えようとする気持ちが黄色い鉢巻になり、近隣清掃のポスティングへと向かわせる。眼の前に出来たコンビニ、オープンの日にはコンビニ経営者が何人かリサーチに来ていた。同じものを同じような店構えで売っているようでもそれぞれ微妙に違う。黄色い鉢巻きをしたコンビニの前を通るとお客が途絶えることがない。サービスに徹した売り方が厳しい立地環境を跳ね除けている。「家の周りが明るくて便利になった」、東京練馬のときのような気分になっているのはすぐそばの人達だけ、25坪の店同士の競争は絶え間なく続いている。コンビニこそ差が出てくる。


                                          (青柳 剛)

ご意見、ご感想は ndk-24@ndk-g.co.jp まで


「森の声」 CONTENTSに戻る