もう雪は降らない                                               平成19年3月12日


 もう今年は雪は降らない。それでも3月に大雪が降ったり、4月に桜が咲いている花の上に雪が積もった年もあるからこれからどうなるか分からない気もするが、暮れから今までの様子通りならもう雪は降りそうにない。東京では初雪の観測日がどんどん更新されている。初雪がなくて終わりそうだ。それどころか桜もそのうちきっと咲きだす。去年は全国各地で本当に豪雪だった。テレビで流す去年の新潟の豪雪と今年の降雪風景との映像は比較にならないぐらいの差だし、各地で雪祭り、スキーの競技が中止された。ワカサギ釣りも出来ない。気候は変わった。いつの間にか気候が変わってしまうことほど止めようがないことはない。今日の話、雪は降らなくなってきた、暖冬少雪の話である。

 先週の週刊現代の巻頭グラビアー「不都合な真実の世界・温まる地球」の緊急特集13頁の写真はどれも衝撃的だ。グリーンランドの氷河の溶解した水は急流となって流れ出しているし、カザフスタンのアラル海の干上がった砂漠に船が何艘も取り残されている、パダゴニアの氷河は消えて湖になってしまった。グラビアで見るだけでなく身近でも暖冬少雪の話題は沢山ある。去年の暮れから野菜の価格は安くなる一方、価格維持のためにせっかく作った出来すぎた野菜をつぶしている。何年か前なら鳥取の梨、その後が千葉の梨、そして今は群馬の梨の味が良いという。林檎は群馬の北、同じ群馬の林檎でも南の地域で出来た林檎とは一味違う。そう言えば去年の秋の紅葉、ちっとも綺麗でなかった。雪がないからスキー場が閑散としていると思ったら今年はスキー客が多い、スキー場まで普通タイヤで簡単に行けるからスキーヤーは多い。そして、当たり前のことだが灯油をはじめとして冬物は売れなかった。みんな「温まる地球」が原因、身近に感じる暖冬少雪の影響はちょっと考えただけでも次から次へと挙げられる。

 今年は暖冬少雪で終わりそうだが、去年は豪雪でひどかった。除雪作業に当たる人達は、暮れからずーっと昼夜出動でも間に合わなかった。暮れの大晦日の家庭の大掃除は勿論、正月返上で除雪に当たったという。1月の末までそんな状態が続いた。通勤通学の足の確保に始まってライフラインの確保、そして、雪国に観光にやってくる人達の道路環境整備に除雪作業に果たす人達の役割は大きい。除雪の機械がどこを探しても見つからない状態にまでなった去年のことがあるから、今年は除雪の機械や人員を多めに確保した。そして、準備体制が整ったら雪が殆ど降らなかった。「いつ降るか」、「いつ降るか」、待機状態だけが続いたから問題が深刻に浮き彫りになってくる。投資した金と確保した人との辻褄が合わない。天候は毎年気紛れといってしまえばそれまでかもしれないが、除雪待機だけで終わってしまう年が続けば、除雪作業に当たる人は誰もいなくなってしまう。その後にやってくる気紛れな天候、豪雪にでもなってしまえばとんでもない状態になってしまうのが眼に見えている。

 もう今年は雪は降らない。桜の開花予想まで出てきた。入学式のときには桜が散っていそうだ。「温まる地球」になってしまったのかもしれない。気候が変わってしまうことは、時代が変化していくことより大変だ。いろんな軋みが出てくる。地球温暖化対策は1人1人がその気になることから始めなければならない。暖冬少雪、雪国に住んでいて殆ど雪らしい雪を見ないで春がやってくる。3月半ばとはいえ、廻りの山々が少しでも荒れだすと雪恋しい気持ちにまでなってくる。それでもいつも裏切られる。雪は降りそうもない。こんな冬が続いたときに思い出す、雪恋しい、雪に思いを寄せた万葉集の贈答歌・・・「我が里に 大雪降れり大原の 古りにし里に 降らまくは後」(天武天皇)、「我が岡のおかみに言ひて降らしめし 雪のくだけしそこにちりけむ」(藤原夫人)。来年こそは「おかみに言ひて」しんしんと雪が降る。

                                          (青柳 剛)

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