10円まんじゅう                                               平成19年3月19日


 東京・「和ふ庵」の10円饅頭が売れているという。28歳の経営者だ。初年度の売り上げが3千万円、今年が3億円の売り上げだそうだ。店の前には行列が出来ている。10円という価格にお客は引き寄せられる。その上、味もかなりいいらしい。皮はモチモチしているし、中身のアンコも本格的だ。10円の価格とは考えられない。1個からでも販売するし、10個買っても百円、3千円も買えばとんでもない量になるからお買い得感はこの上ない。10円でも手抜きはない、原価4.8円だという。食べ物で原価率が半分近くとは利幅が小さい。普通は三割以下、百円の品物は30円以下の原価が相場だ。10円で原価率半分近くなら、どうやって経営に結びつけるかといえば量を売っていくしかない。どんどん売っていく仕組みのビジネスが、あえて10円という消費者にとって分かりやすいビジネスなのである。

 「グローバル時代は大競争の時代だ。これについては異論のないところだろう。東西南北、地球上の津々浦々の人々が否応なく巨大な競争の土俵に上がることを余儀なくされている。この大競争は、どのような性格の競争か。それはすなわち最下位争いである。最も安い値段を提供できるのは誰か。最も低い賃金で働く人々がいるのはどこか。誰もが最下位のポジションを狙ってひしめき合っている。」(「時代の風」2007.2・11毎日新聞)同志社大学浜矩子教授の指摘は鋭い。一度上げてしまった生活水準はなかなか下げられない、一度味をしめた贅沢はそう簡単にはやめられないという「下方硬直性」の原理が大競争の最下位争いの中では成り立たない。それよりも「下方柔軟性」へと向かいだす。自分だけが下方硬直的な振る舞いは出来ようもないし、生き残りをかけて慣れ親しんだライフスタイルを投げ打ってまで、最下位レースに参加していかなければならなくなる。これを「下方柔軟性」の時代と指摘する。

 去年の年明けから、一品一品現地生産をする建設業界でもダンピングの勢いが止まらない。1月20日号の週刊ダイヤモンドがこの辺の事情を特集している。「泥沼化するダンピング合戦」、全国の去年一年間でどれだけダンピングがあったか一目瞭然だ。予定価格の半分以下の工事はいくつもあるし、小さな工事なら30パーセント以下の工事もある。価格以外の要素も含めて落札者を決定する総合評価方式も形骸化してしまった。現地生産のものつくりの分野でのダンピングだから問題点は浮き彫りになってくる。最近は行政サイドからダンピング対策が打ち出されてきた。そうは言っても時代は、浜矩子教授の指摘する「下方柔軟性」が根付きだした潮流に向かっている。各社が生き残りをかけて今までの体質まで変えながら最下位レースに参加しようという気持ちは拭えない、予定調和の時代に逆戻りでもしない限りダンピングはなくなりそうにない。

「下位柔軟性」の時代の空気は、思い付くだけでも挙げていけば身の廻りには沢山ある。100円ショップはあっという間に全国を席捲した。国民服となり得そうな量のフリーズとTシャツを売った衣料品店はどの地域にもある。家電量販店は、最近はM&Aで話題になったが、シェア争いでしのぎを削っている。例外なくどんな産業でも「下位柔軟性」の流れに棹をさす時代ではなくなった。こういった空気を上手に読み取り、時代にあったビジネスモデルを打ち出したのが10円まんじゅうだ。10円でも決して手抜きはしない、アンコに沖縄のミネラル入りの黒糖まで厳選している。小さいまんじゅうだから気になる糖分取り過ぎにもならない。これからも伸びていきそうだ。同じような話は駅においてある無料のフリーペーパーにも言える。無料を支えるのは広告収入、無料のフリーペーパーであっても装丁、デザインと中身も濃い。「下位柔軟性」の時代を上手に見据えたビジネスモデル、ただ安いだけでない「似て非なるもの」が出てきた。

                                          (青柳 剛)

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