母は92歳                                                   平成19年4月3日


 あと2カ月もしないで母は92歳になる。この幾日かは少し風邪気味なのか微熱があるが、それでも至って元気だ。身体は元気だが、歳相応に要介護の度合いは高まりつつこの数年を迎えたという感じが実感だ。団塊の世代は親の介護に苦労するという話をよく聞くが、まさにその通りの生活を送ってきた。去年13回忌を行った父が身体の調子を崩しだしたのは18年前の今頃だったし、それ以後、入退院を繰り返していた。若かったこともあって、父には精一杯の看護をした。母の行動に変調が見られるようになったのは、父が亡くなって2年ほど経った丁度8年前の東京都知事選のあたりからだった。以来、母の介護に正面から向き合ってきたから考えさせられるものはある。それでも、母はもうすぐ92歳、どんなに寒くても相変わらず今でもスカートを穿いている。

 会社と自宅がすぐそばだから母の介護も容易になる。容易な分だけ負担がかかってくる。朝6時に起きて母の朝食の準備をする。朝食の準備の間に母の着替えをする。こんな朝を迎えるのが、この数年間日課になっている。特に問題なのが着替え、血の繋がっている親子でないと着替えは難しい。いろんな言い訳を言ってなかなか着替えない。泊りがけで出かけて朝の着替えの時にいないというわけにはいかない。そして、食事は、変わったものは出さない、同じものがいい。変わったものは食べようとしないし、変わったものを食べた後は必ず変調をきたす。昼間は、もう何年間も母の面倒を見てくれる顔見知りの女性が交替でやってくるから任せておける。夕方5時近くになると風呂に入れなければならない。ゆっくり湯船につかり身体が温まれば母の寝つきは良い。5時半にはぐっすり寝入ってしまう。夜が来ると気が抜ける。

 父の看護に続く母の介護だから、自分なりに介護に向かう心構えまで出来てきた。学習したことは沢山ある。介護の基本は、建築用語で言えば機械主義、近代合理主義は絶対に駄目だということだ。効率性を考えて年寄りに接していたら介護はうまくいかない。すべてに亘って一言で言えば「非効率の効率」が正しい。目標通りの介護なんかありえない。早く食事を終わらせる、早く着替える、早く入浴を済ませる・・・・・、段取り良くいかないのが年寄りの介護なのである。少しぐらいもたもたしていても決してせかせない、見て見ないふりをするのが一番だ。勿論、決め付ける言い方はいい結果をもたらす筈がない。こちらの気持ちがいくら急いていても悟られないように接する。結局、成るようにしか成らないとの気持ちが一番、お互い気持ちよくニコニコしながら一日が終わることになる。

 母も一時期ピック病症候群のようになったこともあった。不穏な空気になると止められない。この先どうなってしまうのか真剣に悩んだ時期もあった。ようやく落ち着いてきたのがこの2、3年、最近はふざけて笑顔まで見せるようになった。嫌がっていたデイサービスもショートステイも行くようになったし、帰って来た時の違和感もなくなった。要介護の度合いもどんどん進んでいくのかと思っていたが、気づいて見れば中程度で安定している。骨折でもして寝たきりにならなければこのままでいけそうだ。父の看護から始まって母の介護を足すとほんとに長い年月が経った。団塊の世代、看護と介護の合間を縫って仕事をする、気がつけば、いつの間にか眼の前に老いの怖さが見えてくる歳になってきた。来月、スカートを穿いた母は92歳になる。


                                          (青柳 剛)

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